住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

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ここ数日の新聞(地方紙と本山発行のもの)に《死期》についての記事が載っていました。地方紙では『現論』の中ですが、保坂正康氏が「死者との回路を確認する」という題で自分における《別れの儀式》を書いています。また、それとは別の観点ですが、『本願寺新報』では老齢のご門徒と住職との会話を基にしてその老女の遺言(「自分が死んだら~してほしい」のようなもの)的なものを書いておられますが、そこでは結局「どこにしまえば一番いいか分からない。まぁ、まだ元気だからゴミ箱に捨てておく」とのこと。ここに登場している2人は《後期高齢者》に《超》がつくほどですが、それでも「まだ元気だから~」には参りますよね。でも、誰でもいつか必ず《死別》に出遭う時が来るのですよね。
ここ数年はコロナ禍で「葬儀は身内だけ」(『家族葬』と称している)が当然のようになっていますが、葬儀は身内との別れであると同時に今までお世話になってきた方々へ感謝を伝える時でもあるはずです。もともと人間はひとりでは存在出来ないのであり、多くの親の命の鎖を受け継いでいるからこそ今の私があると同時に、様々なものに守られ支えられているからこそここに存在出来ているはずです。その意味で、墓参りも自分に命を与えてくれた数多くの先祖に感謝すると同時に「我に任せよ」と誓われた阿弥陀如来に向かわせていただく一時でもあるのですが、どうも近年は悲しいことに本質が抜け落ちてすべてが《形骸化》しているように感じられます。

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去年は《コロナ退散》祈願で水木しげる氏の描いた妖怪アマビエがあちこちで登場しましたが、今朝の新聞には「世界最小のフマビエ」という小さな記事が載っていました。この絵はつくば市の物質・材料研究機構(物材機構)の研究チームが作ったものですが、記事によると平らな銀の表面に付着させた1ナノメートル(ナノは10億分の1)にも満たない鉄の原子を2時間半かけて150個動かし、「笑顔のアマビエを描いた」とのこと。しかもその完成図は[35ナノメートル×45ナノメートル]ということで、コロナウィルス(直径100ナノメートル)よりも小さいものです。この記事を読んだ人の中には「税金を使って遊んでいる」と思う人もいるかもしれませんが、私は単純に「へぇ~こんなことも出来るのだ」と驚きました。
本来、科学の進歩というものは大体において《興味》と《関心》から生まれてくるものではないでしょうか。ニュートンが発見した重力は「リンゴが木から落ちるのを見て疑問を感じた」とのことですし、ワットの蒸気機関車もヤカンから吹き出した蒸気を見たからだと言われています。最近も「お母さんの洗濯を見て、もっと楽にするにはどうすれば?」と考えた小学生が《便利に使える洗濯ばさみ置き》を発明したり、アルミとスチールの缶を磁石を使って分類するゴミ箱を発表した小学生がいますが、ほんのちょっと疑問や興味・関心が新しいものを生み出すのです。この物材機構の人も「若い人たちがこの絵からワクワクを感じて、材料研究の道に進むきっかけになればうれしい」と話しているそうですが、《与えられたものだけ》をすればいいのではなくてそこから次に進むきっかけが《興味・関心》だということを、未来を担う子ども達に教える好教材の一つとは思えないでしょうか。

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総理の強い意向で出来た大規模接種会場は、利用者が3割程度だそうです。その原因を考えもせず、単純に「これを作れば国民は喜んで動く」としか考えていない政府ですが、某テレビ局の昨日の街頭インタビューでは「会場に行くまでに1時間。交通費もだが、何よりもこんな暑い中をしかも2回も往復するには、体力も気力もない。遅くなっても近くの会場に行く」と答えた人がいました。会場が決められた時にも「交通の便が悪く、しかも(最寄り駅についても)会場までは相当に歩くことになる」と言われていた場所ですから、その人の言葉も至極当然のこと。それが計画よりも少ないからといってそのために政府は「接種は不要不急にはあたらないから、他府県の者も受け入れろ」と必死に言っていますが、接種を受け持っている自衛隊は「移動には危険性も含まれるのに、何かがあると自分たちのせいだと非難される」と渋い顔だそうです。国民には「家から出るな」と《自粛》を求めながら「接種ならば県をまたいでもいい」という言葉は、「オリ・パラは別のもの」と言っているのと同じ。全くもって《メンツ》を潰された怒りを自衛隊や自治体に向けている政府の態度は、自分の要求を満たしてくれない親に対して駄々をこねる《子どもの喧嘩》そのものですね。

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「鳥取と島根って、どちらがどうなの?」と訪ねる人が今でもあると聞きますが、砂丘と蟹と二十世紀梨以外には何もない(『コナン』も『鬼太郎』も鳥取です!)と思われている鳥取に「何もない」ものがもう一つ追加されました。1年前には岩手県とコロナ患者0を競っていた鳥取も現在では466名の感染者が発出していますが、実はここ8日間連続で感染確認が0なのです。そこで、県東部に発令していた《新型コロナ注意報》の解除とともに全県を対象としていた《警戒事態宣言》も解除(《注意報》《警報》のいずれかの発令がないのは3月23日以来78日ぶり)して《感染予防強化月間》に移行されました。もっとも、ここで気を緩めるのではなくて引き続き予防対策の徹底の呼びかけは続きますが、このような「何もない」ことは大いに歓迎です。
関東地方では梅雨入りもしていないのに連日のように真夏日になり、昨日は体育の授業中に熱中症で体調不良になり、病院に緊急輸送(女子の1名は重症とか)された高校も出ています。とにかく新型コロナが発症してから「例年とは全く違う」ものになっていますから、常に気を緩めないで過ごしたいものですね。(しかし、昨日の党首討論での菅総理の発言。肝心の中身は何もない上に、思い出話に酔っていただけ。こういう「何もない」ものは遠慮しますがね)

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今朝方に書き込もうと思ったら「パスワードを打ち込んでください」との表示。帰宅後に副住職に聞くと「ちゃんと記録してある」とのこと。ただ、そのことをすっかり忘れて(と言うか、記憶していなくて)いたので、やっと夕方過ぎてからの『独り言』の打ち込みになりました。それが良かったのか悪かったのかは別として、改めて自分の《年齢=物忘れ》の度合いを再確認したわけです。同年齢の人と話すと「そうそう、自分もある」と言われるのですが、本当に《物忘れ》が多くなってきています。最近も寸前まで出ていた「オダマキ」という名前がフッと出てこなくて困りましたし、事務室に入った途端に「何を探しに来たんだっけ」とウロウロ・・・。大切な法務などは日程表を見ながら記入し、その上で「◯日の◯時で、お寺でのご法事ですね」と確認をするようにしていますが、個人的な件で「記入は後から」と後回しにした時には「あれ?いつだっけ」と思うこともしばしば。つくづく「自分はまだ大丈夫」と思っていても《前期高齢者》としてふさわしい(?)年齢になっているのですよね。あぁ、ショック!

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春先にチューリップを植えていた鉢からは既に球根を抜いていたので、昨日買い物に出たついでに苗を2本買ってその鉢に植えてやりました。向拝に置いている下足棚は左右ありますが、いつも右側だけ鉢植えがあって左が寂しいので5月は君子蘭を置き、6月は紫陽花にしています。しかし、今年は上手く育っていなかったせいか紫陽花の花のつきが悪くて今少し寂しい鉢植えです。そこで新しく苗を購入して植えたわけですが、夜になって「この苗はたしか《蔓もの》だったのではなかったか?」と思いつきました。もしもそれが正しければ、蔓が巻くためのものが必要になります。「さぁ、困ったぞ」という現在ですが、とにかく今はまだ蕾の状態ですから、少し様子を見てから何か対策を考えることにします。
本堂の裏にはイチハツの株がありますが、その中から新しく蕾を持った茎が伸びていました。葉も蕾もイチハツではないことは分かっているのですが、まさかアカパンサスとは・・・。確かに去年もアカパンサスがそこに咲いていたのは覚えていますが、株が去年よりも増えているのです。とにかくこのアカパンサスは根が深くてはびこるので、イチハツが絶えないように気をつける必要があります。要注意です。
(本尊の供花には、季節に合わせて菖蒲を中心に活けました)

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5月に入ってから暑い日が続き、特に6月の気温は異常と思えるほどです。ただ、堂内は天井が高いせいもあって外よりも気温が低めですが、問題は風の導線。周りに建物がまったくない所では戸を開け放てば風も《素通し》になっていいのですが、当寺の2方向には建物があって風が吹き抜けにくく、いくら天井が高い本堂でも真夏では熱気が残ってしまいます。そのこともあって堂内にはエアコンを設置していてお参りの方々からは「涼しい」との言葉を得ていますが、残念ながら冷気は下に降りるため、内陣で読経をする私にとっては扇風機が唯一の《友達》です。
しかし、子どもの頃(65年前)を思い返すと、夏は前の川から聞こえてくる蛙の声を聞きながら開け放した窓と団扇(寝るときは蚊帳の中)の風で過ごし、冬の本堂では4つの火鉢の周りに、室内ではヤグラ炬燵(夜はこの炬燵の周りに布団を敷いて)に皆が集まって過ごしていたものでした。また、服装も夏はランニングシャツに半ズボンで走り回り、冬になると靴下を2枚重ねしたりしていましたが、最近では同年配のご門徒と「そうそう、そんなこともあったよね」と笑いながら思い出話に花を咲かせるだけです。だって、今の人たちにとっては「?」ですからね。実際に、USJだったか、『ゆうひが丘商店街』とかいう名前で昭和の時代を懐かしむ企画に人気が集まっているとのことで、我々からすると《懐かしい》ものでも平成生まれの人たちにとっては《新鮮》(彼らにとっては「SNS映えがする」とのこと)に感じられるそうです。いや~、本当に「昭和も遠くなりにけり」ですね。

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昨日の朝は涼しすぎるほどでしたが今朝は早くから蒸し暑い上に一仕事も二仕事もしたので、汗をかいています。何しろ先日の大風で境内から山門下まで落ち葉だらけで、それをかき集めると今度は向拝の番。最初に箒でホコリを取ってから雑巾がけをし、その後は外陣に扇風機をセットです。エアコンはいつでも作動するようになっていますが「まだ早いのでとりあえず扇風機を」ということなのですが、ついでに読経の時用に(衣は上下合わせて4枚なので暑い!)内陣にも1台置きました。しかし、来月からは《猛暑》か《酷暑》か分かりませんが、今からこれでは無事に乗り切れるのか不安です。
ところで、あちこちに色とりどりの紫陽花が咲いていますが、なぜか当寺の花はすべて白色です。紫陽花の花の色は土の質(酸性かアルカリ性か)によるとは聞いていますが、白色ということは中性なのでしょうか?紫陽花と言えば先日のTVで《アジサイ寺》として有名な奈良の寺院が放映されていましたが、なぜか画面は緑一色。どうも今年は観光客による《密》を避けるために、1万本もある花を蕾の時からすべて切り取ってしまったのだそうです。去年はきれいに咲いているチューリップの花をすべて刈り取った所も放映されていましたが、花には何の罪のないのにかわいそうですよね。


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昨日着ていた長袖のカッターシャツを今朝は少し薄い生地の長袖のTシャツに着替えましたが、まだ寒かったので慌てて別のカッターシャツに着替えました。教員時代には白のカッターシャツを着ていた(当然にネクタイも)のですが、退職後は洋服布袍の時などの特別な場合を除いて殆ど着ておらず、白のカッターは今ではクリーニングから戻ってきたままの状態です。ですから今着ているものは当然に《普段着》の柄物ですが、退職して既に13年目になっても着られるということは、体型が余り変わっていないということなのでしょうね。もっとも、ウエストだけは退職後すぐに変化したので坊守に怒られていますが・・・。
ところで、今朝の新聞報道ではご出生数が下がって、去年は87万人弱ということ。「もう前期高齢者だ」と言って笑っている我々は今では《団塊の世代》とも言われますが、もともとは《ベビーブーム》と言われていた時の子どもです。私は昭和22年生まれの者と一緒の学年でしたが、高校時代には(普通科13クラス・家庭科2クラス)15クラスあって、1学年だけで800名いたわけです。しかも平均52名(理系クラスでは65名近くいた)という《大所帯》で49名の私のクラスが一番少ないクラスでしたが、それでも「起立!」の号令がかかっても椅子を下げると後ろの机にぶつかるのでまともに立てなかったという学校生活でした。そんな私たちから見れば87万人という数字は信じられないのですが、「LBGTには生産性がない」などと堂々と言ったりそれを擁護したりする人たちが政治を司っている現状では逆に「納得」なのかも・・・。

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今月の掲示板には『明日の自分を 信じる時 今日が 輝き始める』という言葉を書き上げました。
当寺は駅から徒歩で10分程度の市街地にあり、南北を走る2本の主要道路に挟まれていて車の通行(一方通行)も多い上に寺前には遊歩道もあるので、掲示板は目につきやすくてご法義の伝道には良い手段だと思い、前住職の3回忌法要を勤めた30年前に山門と一緒に立てたものです。しかし、当時は教員として働いていたこともあって掲示板にまで手が回らず、なかなか《毎月書き換える》ということが出来ませんでした。しかし、退職してからは時間もあるので毎月言葉を変えて掲示していますが、月の終わり近くになって困るのが「今月は何と書こうか」ということです。内容だけでなく文字数も「車で通る時にチラッと見ても読み取れる程度」と考えていたので、文字の大きさも関係してせいぜい6行程度(多くても8行まで)になります。おまけに《その月にあった言葉》ということとともに「今まで似たような言葉がなかったか」ということも確認しながらですから、月末には頭を悩ませいますが・・・。
現在はコロナ禍による《自粛》に加えてリモートによる授業や仕事の時間が多くなって《巣ごもり》状態が続いていますが、そうなると自分と比べるものがなくなってしまい、「今のままでいいのか」という不安感に加えて「何をすればいいのか」ということさえも分からなくなってきますが、そんな今だからこそ、「自分を信じよう」という気持ちを込めて今月の掲示板の言葉にしたわけです。写真は葉に隠されて分かりづらいミカンの花ですが、誰もいないようでも見ている人は必ずいるものですよね。

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