花も水を吸い上げにくいのでは?
昨日で秋のお彼岸も過ぎたわけですが、「暑さ寒さも~」を期待していたにもかかわらず最後までじめじめした空気空気が居座ってた今年のお彼岸でした。そんな中でも《切り花》のために納骨堂の供花が萎れてしまうのは仕方がないことで、写真はダメになったものを整理して何とか元気な花を生け直している途中のもの(お参りの人がおられない時を狙っての作業のため)ですが、猛暑の中に迎えたお盆の時とは違って残せる花が多くあったように思います。

今日は残り半分の整理をしなければいけないのですが、その作業で気づくことは、お供えされる時に紐や輪ゴムで目元が縛ったままのものが多いことです。中にはアルミが巻かれたままのものもありましたが、人間でもウェストをきつく縛られると苦しいのと同様に花も水を吸い上げるところを縛られていると苦しいのではないでしょうか。せめて縛っているもの外してやってほしいと思ってしまう私の気持ちは異常でしょうか?

今日は残り半分の整理をしなければいけないのですが、その作業で気づくことは、お供えされる時に紐や輪ゴムで目元が縛ったままのものが多いことです。中にはアルミが巻かれたままのものもありましたが、人間でもウェストをきつく縛られると苦しいのと同様に花も水を吸い上げるところを縛られていると苦しいのではないでしょうか。せめて縛っているもの外してやってほしいと思ってしまう私の気持ちは異常でしょうか?
幻?ボケた?まさかねぇ
柳まで異常なほど繁茂していますよ
彼岸中は辛かった膝の水を抜いてもらいました
若者達はなぜ死なねばならなかったのか
今朝は夜中(2時過ぎ)に目が覚めていつもならそこからまた少し寝るのですが、今朝は眠れません。ラジオで少年を含めた多くの若者達を「お国のため」という言葉一つで死なせた苦しみと悲しみを涙ながらに語りつつ一服のお茶が作り出す《譲り合い》の心を説く茶道の宗匠の話を聞きながら、結局眠れないままに5時前から起き出して供花の活け替えや納骨堂の解錠などを始めました。私も亡母から(簡単ながら)茶道を教えられていたので茶席での「お先に戴きます」「どうぞ」などという作法も知っていますが、確かにこの《相手を敬う》気持ちがあれば、あんな馬鹿げた戦争が起こることもなかったでしょうし、あたら未来ある若者達を死なせることもなかったはずです。

隣の公園には折角あった砂場が「使用禁止」になってブロックだけが中途半端に残っています。しっかりした検討なしに作ったから《税金の無駄遣い》となっていますが、これと同様にいくら《敵の攻撃から守るため》という言葉を使っても、今の為政者の内容のない説明ではまた悲劇の繰り返しを生んでしまいます。是非とも今朝の宗匠の言葉を政治家達に聞かせたいものです。

隣の公園には折角あった砂場が「使用禁止」になってブロックだけが中途半端に残っています。しっかりした検討なしに作ったから《税金の無駄遣い》となっていますが、これと同様にいくら《敵の攻撃から守るため》という言葉を使っても、今の為政者の内容のない説明ではまた悲劇の繰り返しを生んでしまいます。是非とも今朝の宗匠の言葉を政治家達に聞かせたいものです。
柿は色付き、八朔は実をつけています
今はどこ果物店でも葡萄が主流ですが、これから本流になるのが栗と柿でしょう。しかし、今年の猛暑とその後にやって来た大雨で枯れたりした木も多いとのこと。何しろ自然任せの所も多い仕事ですから、特に今年は大変だったことと思います。その上最近になって増えてきたのが動物による被害とともに人間による被害(さすがにこれは許せませんよね)です。
ところで、「桃栗3年柿8年」とは言いますが、8月に実をつける果物があります。そこでつけられた名前が《八朔》ですが、この《朔》とは1日のこと。つまり「8月になると実をつける」という意味です。

当寺にも八朔の木がありますが、前坊守が植えたものの「全然実をつけない」と文句を言っていたのですが、私たちの代になって実をつけだし、今では隔年で《生り年》を迎えていますので、今年がそれに当たる年ということになります。もっとも、収穫が真冬ということもあって大変なのですよね。おまけに私自身は柑橘類が苦手なのでいつも「採るだけ」ですが、さて、今年の冬はどうなりますかねぇ。
ところで、「桃栗3年柿8年」とは言いますが、8月に実をつける果物があります。そこでつけられた名前が《八朔》ですが、この《朔》とは1日のこと。つまり「8月になると実をつける」という意味です。

当寺にも八朔の木がありますが、前坊守が植えたものの「全然実をつけない」と文句を言っていたのですが、私たちの代になって実をつけだし、今では隔年で《生り年》を迎えていますので、今年がそれに当たる年ということになります。もっとも、収穫が真冬ということもあって大変なのですよね。おまけに私自身は柑橘類が苦手なのでいつも「採るだけ」ですが、さて、今年の冬はどうなりますかねぇ。
何故かバタバタとした日々になりました
白の彼岸花が咲いていました
新聞には真っ赤な彼岸花の写真が載っていましたが、公孫樹の下に植えていた当寺の彼岸花(白)はまったく芽を出す様子もなくて絶えたのかと心配していますが、本堂裏では今年も無事に咲いていました。

それも去年は1輪だけで寂しかったのですが、今年は草に囲まれて何輪も花を咲かせています。真っ赤な花が一斉に咲いているのもきれいですが、これはこれでまたいいものですね。

ところで、今朝の風がなんとなく湿っぽく感じられたのは気のせいでしょうか?ここ数日はまるで梅雨期に戻ったのではないかと思えるほど湿度が高くてうっとうしかったのですが、今朝の風にも同じようなものを感じました。空はどんよりしているし、湿度は高くて風は生ぬるいし、一体いつになったら季節が本当の秋になるのでしょうか。和歌集には「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」とありますが、果たして今年はこの歌人と同じ風を感ずることが出来るのでしょうか?

それも去年は1輪だけで寂しかったのですが、今年は草に囲まれて何輪も花を咲かせています。真っ赤な花が一斉に咲いているのもきれいですが、これはこれでまたいいものですね。

ところで、今朝の風がなんとなく湿っぽく感じられたのは気のせいでしょうか?ここ数日はまるで梅雨期に戻ったのではないかと思えるほど湿度が高くてうっとうしかったのですが、今朝の風にも同じようなものを感じました。空はどんよりしているし、湿度は高くて風は生ぬるいし、一体いつになったら季節が本当の秋になるのでしょうか。和歌集には「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」とありますが、果たして今年はこの歌人と同じ風を感ずることが出来るのでしょうか?
秋のお彼岸です

「暑さ寒さも~」とは言いますが、どうも今月中はまだ残暑が居座るようです。おまけにコロナの株も新しいものが登場し、加えて季節外れのインフルエンザの流行も重なって9月は大荒れしそうです。今日から秋のお彼岸。当寺では初日に彼岸法要を勤めることになっていますが、鳥取では稲刈りが真っ最中でもあるのでお参りは少ないかもしれませんが、たとえ1人でも勤めさせていたく所存です。しかし、昨日から供花の購入と生け込み、山門の幕張り、納骨堂と本堂の荘厳等々で疲れがピークになっています。おまけに膝の痛みが去らないので、この1週間が厳しい日々になりそうです。
ところで、梔の葉が青虫に食べられてしまいました。写真は青々としていますが、今朝はすっかり裸状態です。