住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

在位70年という長きにわたって国民に寄り添った女王として96歳の今年天寿をまっとうされたエリザベス女王。その長い年月には王位を捨てて愛する人との生活を選んだ《世紀の恋》をした伯父の存在やウィンザー城の火災、そしてダイアナ王妃の事故死など数々の苦難を受け、一時は王室の存続を危ぶまれながらも国民とともに生きてきた女王には皇室にも多くの思い出があり、誰もがその死を嘆き悲しんでいます。
それに対し、国民の半数以上が反対の声を上げている安倍元総理の国葬問題に対して岸田総理は《後付け》《こじつけ》だらけの意味不明な説明(しかも国会無視の閣議決定だけ)だけで強行する姿勢を崩してはいません。そのうえ「国民に弔意を強制していないから、国葬ではなくて国葬儀だから、閣議決定だけでいい」と訳の分からない説明をひねり出すしまつ。
2018-01-31 06.59.54
昨日のTV番組の中でパックン氏が「聞くには(聞・聴・利・効)の4通りある。相手の言葉を(聞く)だけでなくてその本質を(聴き)取り、そしてそれに対して一番いい方法(利)を考え、最後にいい結果(効)を表すことがあってこそ、初めて《聞く力》があることである。しかし、岸田総理には(聞)しかない」と言っています。また、別の解説者から「国会議員の中でも『総理は今までの誰よりも意見を聞いてくれるが、ただだ聞くだけでなにもしない』と言われている」との言葉も・・・。
強行しようとしている《国葬》に対して「諸手を挙げて賛成」する人が半分にも満たない現状をエリザベス女王への悲しみと比較し、今一度考え直そうとする気持ちが総理とその取り巻き達に少しでもあればいいのですが・・・。

鳥取県が新型コロナ感染予防対策推進の補助金を出しているということを、この前初めて知りました。数年前から実施しているとのことで、当寺もコロナ禍が始まった時に購入していたパナソニックの除菌機器などを申請しようとしましたが、よく調べると《年度》の設定。当時も高額でしたが拡大を予想して必要不可欠と判断し、まだ陽性者が0人だった時に既に購入・設置したものの、補助には該当しないとのこと。
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残念ですが、それでもお参りの方々のことを思って早々に決断したものですから、仕方がないですね。でも、ご門徒からお預かりしている大切なお金ですから、販売する側にはそんな制度があることを教えてほしかったなぁ。

今日は暦の上では《白露》で、空気が冷えて朝露が生まれる頃とか。確かに朝の気温は下がっていますが、今朝は(汗こそは出ませんが)朝日を浴びると暑さを感じます。昼間には時折蝉の声が聞こますし、まだまだ「台風一過」とは言えず、残暑が居座っているようです。それでも庭のあちこちに生えている貴船は蕾が膨らんできており、お彼岸の頃には咲くのではないかと思われます。ただ、秋とくれば直ぐに連想されるヒガンバナはまだ一向に姿を見せていないので今年は彼岸に間に合うかどうかは不明ですが、突然に頭を見せると瞬く間に茎が伸びて開花するヒガンバナですから、次の1週間が楽しみです。
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撮りためていた写真がなくなりました。またあちこちを探してみますが、今はちょうど花がない時期。せめてサクラランが開花すればその写真が撮れるのですが、まぁ少し待ってみましょうかねぇ。

昔から「台風一過」という言葉がありますが、今朝の境内の風景はそれほど落ち葉も多くなくて掃き集めるのに苦労しませんでした。しかし、向拝の砂埃に対しては最初に箒で掃き清めてからモップ掛けという二重手間。外陣の掃き掃除も最初に椅子を重ねてから始めないといけないので大変ですが、それでも板戸とサッシの2枚戸にしてからは隙間から入ってくるホコリも少なくなったし、椅子だと何よりもお参りの方がホッとされるので、苦労は(今のところは)考えないようにしています。
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ところで、今朝の新聞に賽銭泥が捕まったという記事がありましたが、昨日はTVで同一人物と思われる3回連続の餃子泥の姿が放映されていました。しかし、いつも不思議に思うのは必ず顔が隠されているということ。「まだ正式に犯人と認められていない」とか「人違いになることを防ぐ」ということのようですが、何のための《防犯カメラ》なのでしょうか。「防犯」とは「犯罪を防ぐ」ことであり、どうすればその人に犯罪を重ねさせることを防ぐことが出来るのかを考えることも必要ではないでしょうか。

今朝は窓から生暖かい風が吹き込んできます。台風特有の南風ですが、今はまだ突風にはなっていませんが、あと数時間で鳥取も強風の円内に入ることでしょう。そのため、昨日のうちに向拝の踏み板やバケツ等は室内にしまい込みましたが、どの程度の強さになるのか分からないというのは不安ですね。町中にいる私でさえそうですから、農家の方の不安はきっと最高潮でしょう。
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ところで、今年は本当に《異常》ですね。窓辺に釣っているサクララン(サクラホヤとも)が初めて開花したのは4年程前で、その後は年1回の割で咲いていました。それが今年の夏に2度目の開花があって驚いたのですが、何と今3度目の開花です。一体何度咲くものなのでしょうか?

今(7時50分)は抜けるような青空で無風ですが、2時間前は南風が突風のように吹き荒れて台風の襲来を予感させるような天候。台風11号の影響は明日ということなので、夕方には向拝の踏み板やバケツ等を避難させておく必要があります。
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ところで、この台風のことを野に生えている草花をなぎ倒して吹き抜けることから旧名では「野分」と呼んでいましたが、まだその強い風を受けていない今は紫陽花とウツギの咲き残りが1輪ずつあったので、今日の写真はそれにします。
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百日紅以外には花っけが見当たらない昨今ですから、「野分」の強風に負けないでいてほしいものです。

ここ2~3ケ月は何となく気が乗らない感じがしています。別にいつもとどこが変わったということはないのですが、いつもなら既に終わっているはずがギリギリまで残っていたり、「朝になったらこれをしよう」と思っていたものが動き始めたら頭から抜け落ちていたり・・・。夏の疲れが今なお体の奥に残っているか、どうもしゃんとしない感じです。まぁ、あと4ケ月したら《後期高齢者》の仲間入りをするのですから、仕方無いかもしれませんがね。とりあえずパルスメーターは「異常なし」なので安心しています。
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しかし、この《後期高齢者》が目前になるとやってくるのが運転免許の更新に対する事前検査の連絡。先日に封筒が届いたので直ちに自動車学校へ連絡して予約しました。前回は定員オーバーで希望日よりも1ケ月先になったこともあったのですぐに動いたわけですが、やはり自分にとって必要性が高いことについては動けるものなのですね。

台風の余波か、今朝は曇り空だったのに今(8時15分)は真っ暗になった途端に雨です。ここ数日はこんな天気が続いてやり、「弁当忘れても傘を忘るな」という山陰地方の格言が納得できる程です。もっとも、実は山陰地方では確率的に晴天の方が高いそうで、「単に《山陰》という言葉がどんよりとした雰囲気を感じさせるためではないか」とのことですが・・・。確かに、かつて太宰府に赴任する時の行程は山陰道で山陽側は《瀬戸内=海賊》と避けられていた、との説もあります。だからこそ、『万葉集』の編纂で知られたかの大伴家持も因幡の地に国府として赴任していたのですから。
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それはそうとして、春には真っ赤になるほど咲き誇っていた藪椿の花も今は実に替わっています。何か「秋晴れ」からは遠い感じがするここ数日の雨を受けて濡れそぼっていますが・・・。

新聞は必ず隅々まで目を通すことにしていますが、俗に言う《流し読み》になる部分もあります。政治家の言葉には相も変わらず《実》がないということを今回の岸田総理と茂木大臣の統一教会に対する答弁で再確認しましたが、そのままの言葉が載っている部分はどうしても熟読する気にはなりません。そんな中で、連載小説「ゆうびんの父」に載っていた言葉が目にとまりました。
    「字は知っている人に書けば手紙となり、未知の人には本となる」
姿を残さず消えてしまう《言葉》と違って紙に書かれた文字や絵はいつまでも残り、何度でも繰り返して読むことが出来ます。そのことは、何年か後で本を読んだ時に最初は気づかなかったものが見えてきた、という経験をした人も多いことでしょう。だからこそ、読書は自分に未知の経験を与えてくれる宝物なのです。
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けれども、それほど素晴らしい力を持っている文字でも言葉という形では(録音しない限りは)後に残らず、「知らない」「覚えていない」と言われればどうにもなりません。「《言霊》がある」と言われたはずの言葉も、今の政治家達はその短所をうまく利用してどんな場合であっても《他人事》として振る舞える特殊能力があるようですがね。

境内の参道以外は以前はバラスでしたが、自転車でやって来られた人がハンドルを取られたりして危ないので、何年も前にストーンファイバーにして固めました。お蔭でもう足下に不安はなくなったのですが、納骨堂の前はお参りの人が段を下りた時に何度も踏みしめるので水たまりができやすくなっていました。そのために雨の前にはいつも人工芝のマットを敷いているのですが、それが朝見たらそこにない!どうも夕べの風で移動していたようです。
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ところで、「風に吹かれてひっくり返る」というマットの様子を見て何故か子どもの頃にはやった《ゲンジー》(この呼び名は「源氏」と「平家」に関係していると聞いたことがあり、一般には《メンコ》とも)という遊びを思い出しました。今の子ども達は知らないでしょうね。でも、私にとってはそれを買い求めるだけの小遣いがなかったので仲間には入れず、いつも新聞紙を折って作ったもので一人遊びしていたという寂しい思い出につながるのですが・・・。(写真は、昨日書いた今夏最後の紫陽花です)

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