住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2021年01月

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昨日のシクラメンは、古くなった花を出来るだけさばいて半分ほどにしてからたっぷりと水をやったところ、すっかり元気になりました。これでひとまず安心です。ついでに、花を終えたオンシジュウムも茎を切り取ってから鉢から抜いて根に絡んでいた土に新しい木くずを混ぜて新しい鉢に植え替えたり、下駄箱の上で寒さに凍えていたディフェンバキアも同様に植え替えてから水をやって事務所の窓辺に飾りました。もっとも、底に敷く石と植栽用の木くずの購入に出かけてからの作業でしたので午後の数時間が必要でしたが・・・。午前中は当寺の仏教婦人会100回記念に関する書類の添削(仏婦役員の意見を聞いて)をし、夕方はそれに関係した何種類かの印刷物の原稿を作ったりそれを印刷したりして過ごしましたので、結局は一日中バタバタしていたことになります。かつて「退職したら暇になるぞ」と言った人がいましたが、今年で丸12年が経ってもなかなか《自分の時間》が取れないものです。まぁ、動くことが気にならない性格ですから別にいいですがね。

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普段見ていると思っているものも実際には「見ていない」ということは多いものです。玄関に年末から置いているシクラメンですが、いつも元気に咲いているように思っていました。しかし、よく見るとラップの中で茎がグッタリしています。「冬場だから、まだ水はいいだろう」と思って水をやらなかったのが原因ですので、慌てて日に当たるようにと思って窓辺に置き場を変えてから水もしっかりと与えましたが、いつも花には気をつけていたのに完全に私のミスです。これで元気になってくれればいいのですが・・・。デンドロビウムの鉢植えから花芽が出たりアマリリスが1ケ月以上も早く開花したりして、きっと育てている側として《いい気》になっていたのでしょうね。「反省!」です。
ところで、今日も青空です。境内の松の下ではヤブツバキの花が寒気に耐えているように身をちぢこませているような雰囲気を醸し出していますが、裏の中庭では八重の椿がふんわりとした雰囲気でピンクの花弁を開いています。《小豆正月》や大寒を過ぎた今、空気も少しずつ春に近づいているのでしょうか。これからは初嵐や白玉椿も次々と蕾を膨らませてくることでしょう。またそれも楽しみのひとつです。

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アマリリスって一度に4輪咲くのですね。去年も一昨年も見ていて分かっていたはずなのに、今年それを見てあらためて感動しました。
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ところで、感動と言えば、あの『タッチ』最終回の舞台になった市民体育館が撤去工事に入りました。漫画ではインターハイ(新体操)に出場している浅倉南のもとに上杉達也が甲子園の開会式を欠席して会いに来ることになっていますが、そのインターハイの会場がこの市民体育館であり、側を流れている新袋川の土手で「世界中の誰よりも・・・」と達也が南に告白する場面。高校の部活動と言えば常に汗と涙と努力がお題目のように使われますが、高校時代と言えばやはり青春のまっただ中。甘酸っぱい、そしてホロ苦い初恋の経験が生まれるのもやはりこの頃でしょう。そんな青春を描いた『タッチ』の最終回にふさわしい告白でしたが、アニメでは達也が南に公衆電話で「甲子園まで会いに来てほしい」と告白することになっており、「なんとなく中途半端な終わり方だ」
という残念な思いがしたものです。映画でもTVドラマでも編集の時によく原作の内容を変えてしまっているものがあります(最近では堂場俊一の小説を使ったドラマで犯人が別の人物になっているものがありました)が、やり過ぎるとまったく別の作品のなるではないでしょうか。やはり、作者の意図はできるだけ大切にしてほしいものです。

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奈良の野焼きは1月の第4土曜に行われるもので、今年は23日(つまり今日)です。この野焼きは三笠山で行われるのですが、この『三笠』から《三笠宮》が創設されたことによって1935年に山の名称が『若草山』に改称されたのですが、この山は古く『万葉集』にも載っています。遣唐使として若くして唐に渡った阿倍仲麻呂が朝廷から帰国を命じられた時に故国を懐かしんで詠った短歌です。残念ながら仲麻呂は難破して帰国がかなわず唐で最期を迎えましたが、この短歌は編纂されてから1000年経った今でも人々に口ずさまれています。現在の《野焼き》と言えばこの若草山以外にも阿蘇や秋吉台など日本全国で行われていて、春になる前の虫の駆除や土の養分を補うためなどと言われていますが、若草山での野焼きの起源やその理由は今もって分かっていないそうです。
しかし、《地球温暖化》が問題になっている現在では、アマゾンなどで行われている密林の焼き払いは大問題になっています。これは道路の拡張や工場建設等のための土地の確保が目的であり、これが地球の酸素供給量の減少や生態系の破壊につながっている行為であって《野焼き》とは全く違うものです。
蛇足ですが、一昨年のNHKラジオの『文芸評論』でこの《野焼き》の情景を詠った俳句がありました。  
      「火を放つ 女はかまどに 火を放つ」
だったと思いますが、それを聞いた時は夏井先生ではありませんがと感動したものでした。

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今朝のTVで《水循環型手洗い機》を製作した人の思いが放送されていました。「東日本大震災の時に水の大切さを身をもって経験したことから『なんとかしたい』との強い意志に動かされてた。そして、その後に洪水の被害を受けた熊本などの被災地でこの《水循環型》のシャワーを設置して皆に喜んでもらえたことやコロナ禍の中でアルコールに対するアレルギー反応を示す人に対する手洗い場の必要性などを知ったことからこそ、今回の装置を開発した」とのことでした。昔から『必要は発明の母』と言われますが、「『今、何が必要なのか』をしっかりと考え、その上でそれを追求することがいかに大切か」ということを教えられたように思います。しかし、明日国会を通過すると言われている『特措法』の改正は《本当に今こそ必要なもの》なのでしょうか?
今朝のニュースで悲しい出来事が報告されました。コロナに罹った30代の女性(ただし、無症状)が、自分の周りに陽性者が出たということから「私がうつしたのかもしれない」と悩んで自殺をしたとのこと。この人だけでなく、コロナ禍で様々な苦しみに追い込まれ、中にはこの人のように自殺をする人が多くいる現状を見ずして「罰則を与えれば何とでもなる」と考えている為政者の姿には悲しみしかありません。

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