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報恩講第1日目の昨日は、最後にご門徒の1人から質問が出ました。「戦国時代における僧兵の是非」と「宗教の怖さ」についてでしたが、さすがに御講師は答えに窮しておられました。しかし、私としては、この質問に対する回答は昨今のオレオレ詐欺やさまざまなセールスをする人とそれにだまされる人の存在にも関わっているものだと思います。
確かにこれらは犯罪であると誰でも分かっていることですが、実際にそれに引っかかる人たちがいるということも否定できません。つまり、親としての《子を思う愛情》や人間の持つ《心の弱さ》《隙間》に忍び込んで相手を思いのままに操ろうとするものが根底にあるのがこの犯罪の正体なのですが、これを権力者と民衆に置き換えれば、人間の心の弱さを利用した《権力者による支配と弾圧》にもつながるのではありませんか。そして、それが厳しくなってくると《抵抗》という行為が起こってくることは、歴史のあちこちに見られることです。
そう考えると、その根底にある支配者や権力者による人々への心理的支配が《宗教》というものを手段に用いた時、一方では《十字軍》のように相手を従わせる戦いにつながり、また一方では天草四郎のように抵抗する動きになったりしたのではないでしょうか。(その例で言うと、「お国のため」という言葉によって国民が一丸となって戦争に突き進んでいったのも、結局は同じなのかもしれませんね)
結局のところ、(私的には)宗教を利用して人々を支配しようとする者の思惑が人々に「宗教は怖いもの」という誤った意識を生み出しているのではないかと思います。心が弱く、様々な苦悩という《深い闇》にさいなまれている人々を救う《一条の光》が宗教の本来の姿なのですから・・・。