本堂と私の部屋には1枚の絵が掛かっています。この絵は市内で自転車店をしておられた方が「記憶にある市内の様子を残すため」ということで書かれたもので、数年前にやまびこ博物館で展示してあったものを複写してもらった100年前の当寺が描かれているものです。その絵には袋川の土手から階段(3段)を上ったところに建っている本堂と、その横を流れている疎水が描かれています。私の子供の頃の記憶にもこの疎水はありますが、記憶の中の疎水は120~130㎝幅で、流れている水は少ないながらも寺前の袋川(小学生の頃は、この川でよく鮒釣りをしていたものです)に注いでいました。しかし、この本堂は残念ながら3歳の時の鳥取大火で全焼したので私の記憶には土台だけが残った空き地だけしかありませんが、数年前に亡くなった兄から「自転車を抱えて階段を上っていた」と聞いていたとおりです。子供の頃に生活していた庫裡の台所や物置のようになっていた二階部屋の様子、またその頃にあった古い納骨堂等は今でも時々夢の中に出てきます(よく考えると、その夢に出てくる姿は時間的に前後している??)が、やはり「自分の目で見ていないもの」は夢にも出てこないものなのですね。
100年前の本堂が描かれた絵
本堂と私の部屋には1枚の絵が掛かっています。この絵は市内で自転車店をしておられた方が「記憶にある市内の様子を残すため」ということで書かれたもので、数年前にやまびこ博物館で展示してあったものを複写してもらった100年前の当寺が描かれているものです。その絵には袋川の土手から階段(3段)を上ったところに建っている本堂と、その横を流れている疎水が描かれています。私の子供の頃の記憶にもこの疎水はありますが、記憶の中の疎水は120~130㎝幅で、流れている水は少ないながらも寺前の袋川(小学生の頃は、この川でよく鮒釣りをしていたものです)に注いでいました。しかし、この本堂は残念ながら3歳の時の鳥取大火で全焼したので私の記憶には土台だけが残った空き地だけしかありませんが、数年前に亡くなった兄から「自転車を抱えて階段を上っていた」と聞いていたとおりです。子供の頃に生活していた庫裡の台所や物置のようになっていた二階部屋の様子、またその頃にあった古い納骨堂等は今でも時々夢の中に出てきます(よく考えると、その夢に出てくる姿は時間的に前後している??)が、やはり「自分の目で見ていないもの」は夢にも出てこないものなのですね。
コメント