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「今回オリンピックを中止したら、日本は未来永劫開催出来なくなる」と某議員が述べていますが、《世界的危機》による中止判断がそんな結果を生むというのならば「IOCは《村八分》的存在」であることを容認しているのであり、そんな理由で「だから開催すべきだ」と堂々(?)と発言する国会議員は一体どういう存在なのでしょうか?また、強行開催に躍起になっている菅総理に忖度して「~だから安全なのです」と必死になって取り繕っている組織委員会の人たちと比べて、池江選手や新谷選手の言葉の方がこちらに直に伝わってくるのはなぜでしょうか??
松下幸之助氏はかつて「塩のからさ、砂糖の甘さは 学問では理解できない。だが、なめてみれば すぐ分かる」と言っています。これは《経験することの大切さ》を述べている言葉ですが、現在の教育では子ども達に《経験する》ことの大切さを教えていません。その好例が「危ないから、刃物を持たせない」というものでしょう。昔は小学校に入学すると必ず筆箱の中にナイフ(肥後守)が入っていました。「それを使って自分で鉛筆を削りなさい」ということで、子ども達は指を切ったりしながら《刃物を上手に使う方法》を覚えていきました。そんな経験をした人は自分自身で痛い思いをするからこそ刃物の怖さを知っているのであり、それを知っているからこそ、たとえ鋏であっても手渡す時には決して刃先を人に向けることはしません。つまり、《経験すること》の大切さとは《自分のものとする》ことを意味しているのです。しかし、今の組織委員会の人たちには結局「損か得か」しか目に映っていないようですね。あぁ、だから《損得⇔忖度》と言うのか。
今日の写真は(今は紫色の花が咲いていますが)蕾の時の紫蘭にしました。「そんなのしらん」って、おやじギャグですか。