住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

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10月になると《衣替え》ですが、昨日も27度とか・・・。例年は10月に入ると法衣をすべて秋冬物に替えていました。もっとも法衣に《秋物》というものはありません(白衣だけは合物がある)から結局は《冬物》に替えることになるのですが、さすがに今週はまだ暑さも残っていますので冬物はキツイですね。しかし、《衣替え》という行事は、四季がある日本の伝統的な行事であるとともに気持ちを新たに切り替えるためのものでもありますから、「まだ暑いから~」という気持ちは思い切って押さえるべきなのでしょうね。もっとも、昨日も昼間の気温は27度ほどありましたから、30度で暑いと言っていた高校時代ではまだ夏なのですよね。やはり、これも《気候温暖化》のせいなのでしょうか?
とは言っても、周りは秋の空気一色です。目を上げれば青空に浮かぶうろこ雲が見え、下に向けると数日前には蕾だった真っ赤なヒガンバナが咲いています。郊外では田んぼの畦が真っ赤になるほどびっしりと咲いているヒガンバナが街中に1株だけ咲いているのはさみしい感じもしますが、それでも《ヒガンバナ》と《赤とんぼ》は秋の風景そのものですからね。

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日本学術会議から推薦された委員が何名も認められなかったということが大きなニュースになっています。しかもその人たちはかつて安倍政治の提案議題に対して《違憲》などと反論した人たちばかりであり、閣僚も「総理の認定に何の問題もない」と突っぱねるだけでその理由を述べないのは、望月記者の質問に対して無視を通した時と同じ振る舞い。やはり今回の政権も《国民無視を踏襲》するのでしょうか?
それはさておき、昨日(10月1日)はあるものの第1号が走った日ですが、それが何か知っていますか?実は《こだま号》です。「東京~大阪」間を6時間30分で走る《夢の新幹線》の開業を「戦後日本の復興」の目玉として着工し、その第1号が走ったのが東京オリンピック開会式の10日前である昭和39年10月1日でした。新幹線と言えば「のぞみ」「ひかり」「さくら」等が当たり前で「こだま」は《各駅停車》として嫌われますが、その「こだま」が完成していなければ今の新幹線も存在していなかったはずです。どんなものでも《下積みの苦労と努力》があってこそ今に存在するのですが、今のように《上澄み》だけをすくい取って喜んでいる人たちが持っている辞書にはそんな言葉など載っていないのかもしれませんね。

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今日から10月ですが、旧名では「神無月」。なんでも、全国の神様(八百万の神)が出雲に集まって翌年の縁結びを話し合うとか・・・。そこから出雲だけは「神有月」と呼ぶそうです。
ところで、数日前の新聞に日本とニュージーランドの政界の違いが載っていましたが、日本が70代後半の《男社会》であるのに対して向こうは30~40代の女性閣僚が半数を占めており、男女間の格差について「日本は70年も遅れている」と言われているほどです。また、今では「父兄」や「看護婦」「保母」という呼称が男女差別ということで「保護者」「看護師」「保育士」に変わっていますが、これにしても「政府は何を考えているの?」とあきれてしまいます。なぜなら、「子供の保育に男もいる」ということで「保母」に対して「保父」が生まれ、それが今では男女まとめて「保育士」になっているのですが、もともと《士》は《男》を表す言葉ですから、「保育士」は男性の仕事の意味になるのですからね。このような呼び方について、日本では当たり前に使われている「紳士並びに淑女の皆様」は英語の「Ladies & Gentlemen」を訳したものですが、外国では今ではそんな英語を使わないでTPO(場所や状況)によっていろいろと言い換えられています。また子供達に対しての「Boys & Girls」という呼称も現在は使われなくなり、「childlen,everyone(子供達)」になっているほどです。だから、もしも外国に行くことがあれば、呼称には十分に気をつけなければいけませんね。何しろ学校で習った「Mr.」「Mrs.」以外に今では「Ms.(ミズ)」や「Mrs.(ミスィズ)」もあるのですから・・・。
(写真は、株分けした胡蝶蘭です。「ダンゴ3兄弟」ならぬ「胡蝶4兄弟」ですね)


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とうとう長月も今日で終わります。長かったようで「あっ」という間の9ケ月のようにも感じます。
3月27日の「全国一斉休校」の要請から始まった新型コロナ禍では、全国的なマスク不足と消毒用アルコールの不足から手作り用マスクの丸ゴムまで店当から消えてしまいました。また、政府主導の「各家庭に2枚の配布」という布マスクの発送と売れ取りが遅れに遅れたことに加えて不良品の続出で「税金の無駄遣い」とか《アベノマスク》とまで揶揄されたマスク問題や、「国民の気持ちを逆なでする」と言われた《コラブ》問題等々が起こり、果ては病状悪化で突如の退陣声明を出した安倍総理とそれに続く新総理の選出でまたもやすったもんだした国会でしたが、さらに《Go to ~》でも賛否両論の噴出。国会でこんな馬鹿げたことが続出したせいでしょうか、本当に「あっ」という間に過ぎてしまった感があります。しかし、そんな中で始まったマスク生活にもなんとか慣れたようですが、逆に、今までは《当たり前》であった空気のおいしさに今になって気がつくようになりました。これも考えようによっては「災い転じて福となす」ことかもしれませんね。
(10月の掲示板は、その意味を持たせて書きました)

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今朝は納骨堂の供花を入れ替え、ついでに境内の秋明菊を切って玄関に生けました。その境内ではヒガンバナの花が開ききっていますが、遊歩道では秋の太陽を受けて赤のヒガンバナの蕾が見えてきました。遊歩道の花壇ではツツジが威張っていますのでヒガンバナはおとなしくしていたのでしょうが、それでも秋の太陽を受けて枝の隙間からスッと穂先を伸ばしてきたのでしょう。
郊外では黄色に彩られた田んぼの畦で赤々としたヒガンバナが幅をきかせていますが、もともとこのヒガンバナはモグラなどから田んぼの水を守ることを目的に植えられたもの。しかし、最近の田んぼ事情ではモグラよりもジャンボタニシの方が大問題とか。なにしろ、中には田んぼ一面の苗が食べ尽くされたところもあるとのこと。昨日の新聞には「酒と米ヌカを混ぜた餌をペットボトルに入れて田んぼに仕掛け、数百匹ものジャンボタニシを捕獲した」というニュースが載っていましたが、これも新型コロナ禍と同様に自然の猛威と人間の知恵との追いかけっこなのでしょうね。もっとも、今はどうも人間の知恵が《後追い》している感じですが・・・。

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昨日は竹内結子さんの死去と正代の優勝という悲喜交々の出来事が生まれた1日でした。《苦しみ》の裏には常に《喜び》が寄り添っていますが、釈尊は「命を得てこの世に誕生したものは、誰も苦悩から逃れられない」と悟られたように、《喜び》だけの人生はあり得ないということを知らせられた1日でした。
ところで、今日の午後から某葬祭センターを会場にして意見交換会がもたれます。本来《葬儀》は大切な方との最後のお別れとともに今までお世話になった方々へ感謝を伝える一時でもあり、何よりもみ仏の教えに出会わせていただく大切な一時でもあります。その葬儀が昨今は経済的な理由や新型コロナ禍とともにさまざまな家庭事情等でなされない事案が増えています。中には葬儀をしないで荼毘にふすのみならず、その遺骨さえもお持ち帰りにならない方もあるとか聞いていますが、このような風潮が進めば《葬儀》のみならず《仏教》ひいては《宗教》の存在意義までも失われかねません。そのために宗派を問わないでの意見交換会の場が設けられることになりました。私は残念ながら同時刻にご法事が入りましたので欠席の連絡をいたしましたが、「お寺の存続は当然という時代ではない}ということなのでしょうか?それとも我々の努力不足なのでしょうか?
(公園に子供の声が聞こえなくなってから何年経ったのでしょうか)

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昨日は午後から買い物に出かけましたが、店から出る直前に土砂降りとなったので慌てて車まで走りました。乗った途端に聞こえてきたのは「鳥取市に短時間大雨警報が出た」とのニュース。雨はすぐに小降りになったので安心しましたが、今朝の新聞で鹿野町に161㎜を超える雨が降ったと知って再びビックリです。よく「バケツをひっくり返したような」という言葉が使われますが、実際にバケツをひっくり返すと時間的には短くても《滝》状態になるのは、夏の水まきでも分かります。柄杓でなくてバケツのまま水をまくとバシャッと飛んでいく、あのイメージですよね。それが実際に大空から落ちてくるわけですから、傘も役に立たないことでしょう。それにしても、今夏は球磨川や千曲川で氾濫が起こりましたが、あれほどの大河が氾濫する雨というのは、一体何をひっくり返した状態なのでしょうか?境内では、そんな雨の中でもヒガンバナが開いていましたが・・・。

WOTA
夕べのニュースに、「都内にWOTA15台が設置された」というものがありました。WOTAとはもともと若者達が中心になって立ち上げたベンチャー企業が作り上げた還元型の水利用機器の一つで、「シャワーや手洗いで水を使っても3層のフィルターを通して98%以上は元のきれいな水に戻る」という画期的なものであり、現在では災害被災地でも被災者やボランティアの人たちが使うシャワーとしても設置されて喜ばれています。なにしろ「98%以上も水が元に戻る」ということは節水(もちろん、ある程度の補充は必要)になるのであり、何よりも《手洗い》が一番だと言われている新型コロナ禍では何よりの機器ですし、特にアルコールにアレルギーを持つ人にとっては有り難い装置でしょう。
このベンチャー企業については1ケ月程前にTVで製作過程と都内での実験が放送されていましたのでご覧になった人も多いと思いますが、その放送中にデパートや商店街などで使用した人たちの感想もあり、私も「これはきっと話題になる」と感じたものです。機器の使用料や設置費用等で1台に2万円程度(1ケ月)かかるそうですが、役に立たないマスクに使った数百億円がもしもこれに使われていたなら、きっと最高の《いいね》が貰えたのではないかと思うのですがねぇ

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元TOKIOの山口さんについての呼び方について、昨夜まではどこのメディアも「山口容疑者」でしたが、今朝5時のNHKラジオニュースでは「山口さんが釈放」とのこと。釈放でも無罪が確定したわけではないのに「~容疑者」から「~さん」に変わったのはなぜでしょうか。今までも名前を呼ぶ時には必ず「元◯◯」をつけていますが、その理由も名前に敬称をつけたりつけなかったりする線引きもよく分かりません。このあたりについてのメディアのルールが知りたいものですが、その他にも世の中には我々が知らない《暗黙のルール》や《線引き》がきっと数多くあるのでしょうね。「民には由らしむるべし、知らしむるべからず」とは『」論語』の中にある有名な言葉ですが、まさかトップに立つ者はこれを使って「国民には知らせる必要はない」と言っているのではないでしょうね。もしもそうなら、ダーウィンの『進化論』を意図的に誤用した前総理と同じ《確信犯》ということになりますよ。
お彼岸も今日が最後。1週間前には写真のように蕾だった境内のヒガンバナ(曼珠沙華)も今朝は開花しています。真っ赤なヒガンバナは目を引きつけますが、白のヒガンバナの清楚さもいいですよ。

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彼岸も今日と明日まで。納骨堂にお参りされた方の供花は真夏と違って少しは長くもちますが、一度土から話したものはやはり《それなり》です。しかも、ほとんどの方が輪ゴムでしばったままの状態で供えられますから、これでは花も水を吸い上げるのが辛いでしょう。まるで満員電車で身動きがとれないようなものですからね。以前にもこの欄に「花が水を吸い上げやすいように、ゴムを外してください」と書いたことがありましたが、ちょっとしたことでも花にとっては大きな違いになります。
もう30年以上も前になりますが、生け花の先生から「花の種類によって水上げの方法が違う」ということを聞いたことがありました。普通は「水切り」「切り口をたたいて潰す」等ですが、「切り口に塩かミョウバンをつける」とか「ウイスキーなどにしばらく浸ける」「ポンプで茎に水を押し込む」等もありました。それ以後、本堂の花生け用にミョウバンを置いていますが、やはり一番いいのは「水を新しいものに入れ替える」ことと「切り口の古い部分は切り取る」でしょう。なんと言っても「花も生き物」なのですから、人間と同様にそれぞれに適した状態に置いてやることが大切なのでしょうね。

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