住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

昨日は雨が上がってから気温が上がりました。と言ってもここ数日の夏日よりも数度は低かったのですが、それでも大雨の後の高温ですから、湿度が一気に上昇。私の一番苦手な《高温多湿》状態になり、身体がだるいのと肩コリによる頭痛ですっかりダウン状態いに陥り、扇風機をかけても、風が直接やってくるとますますだるさが増すばかり。そのために少し上を向けて回しましたが、今までこんなことはなかったのでにさすがに突然の《高温多湿》になった昨日ばかりはまいりました。水槽の中でゆったりと泳いでいるメダカが羨ましくなるほどです。梅雨とくれば紫陽花が連想されますが、境内にある鉢植えの赤い紫陽花は既に花が終わろうとしていますが、ドウダンツツジの裏に置いている青の紫陽花は(1輪だけですが)元気いっぱいです。これは直射日光に当たっていないせいでしょうから、そう考えると人間にも植物にも夏の直射日光は危険ということでしょうかねぇ。おまけに今夏は《マスク着用》という今までになかった生活様式まで加わっていますから・・・。

昨日夕方のニュースを見ていたら、理化学研究所の面白い実験が報告されていました。『腹が減っては戦が出来ぬ』が本当に正しいのかどうかという実験結果です。「餌をやっていないゼブラフィッシュとやっているものを一緒の水槽に入れた場合、どちらが勝つか」というものですが、結果は空腹の方が勝ちました。研究員の報告では「空腹が神経回路に作用し、『生きたい』という意識が勝ったようだ」とのことですが、その結果報告を聞いて「ぬるま湯につかっているような国会議員に聞かせたい」と思ったのは、果たして私だけでしょうか?世界でも有名なフォションが破産しましたし、日本でも老舗の旅館や長年愛され続けてきた食べ物屋が店を閉めました。また、今回のコロナ禍ではバイトで生計を補っていた学生達も収入がなくなり、1日1食にしたり退学を考えている者もいると聞いています。でも、自分から「辞める」と言わない限り国民の税金がいつまでも《給与》として流れ込んでくる議員には分からないでしょうね、そんな人達の苦悩は《他人事》ですから・・・。
(アカバンサスも向日葵のように同じ方向を向くのですね)

玄関の横にはいつもテッセンの鉢を置いていましたが、1週間ほど前に胡瓜を植えたプランターにしました。やっと蔓が1~2本出てきた程度でそんなに伸びていないから玄関横とは言ってもあまり気づかれないだろうと思っていましたが、それでも気づく人は多いのですね。何人かから「キュウリが植えてありますね」と言われています。中には「100個ほどなるよ」と言った人もあるそうですが、たった3本の苗でしかもプランターですから、どんなに多くても10個ほどだと思っています。それでも収穫の出来る日が楽しみです。なお、苗の1本はプランターではなくて鉢植えですが・・・。
今朝は地震(震度5弱)発生のニュースで眼が覚めました。アナウンサーが震度4や3の地区を言っていましたが、早口で言わないといけないほど多くの地区でした。「津波の怖れはない」とか「今のところ、被害を受けたとの届け出はない」ということでホッとしましたが、最近は地震が多発していることもあって一瞬《南海トラフ》の前ぶれかと思いましたが、そうではないとのことで、また安心したことです。

年に2回、境内の剪定に入ってもらっています。最初は業者に6月頃に松を中心とした木々をしてもらい、報恩講前にはご門徒にお願いして初夏にしなかった木々(サルスベリや蜜柑やノウゼンカズラ等)をしてもらっています。今回は特に菩提種を初めとして新芽が伸び放題になっている椿や梅も切ってもらいました。おかげで台所の窓の《目隠し》がなくなったようですが、育ちすぎた木の下でうずくまっていた椿や山茶花も伸びることでしょう。もっとも、「山門横の松は少し元気がないので、今年は肥料だけにして、剪定は来年にしましょう」とのこと。また、昨冬に花が咲かなかった裏庭の山茶花の木も今年の剪定は中止しました。何ごとも専門家の意見を取り入れることが大切ですからね。
昨日の写真は鉢植えにしていたバラですが、石塔の陰から朝日が当る場所に置き換えていたものです。本当はもっと大きな花だったはずですが・・・。今日の写真は、台所の前に咲いているクチナシにしました。

スパコン富岳が1秒の計算能力を含めて4部門で世界一。何年か前には「2位ではいけないのですか」と問うた議員がいましたが、スパコンは単なる《計算機》ではなくて科学・医療・経済等で求めたものに対する《回答》を導き出す人工知能であり、最近では「車内における飛沫の動き」がシミュレートされましたが、それも富岳が導き出したものです。そう考えると、スパコンは身近でも使われているのですよね。
ところで、昨日の午後から裏庭の草取りをしましたが、1/4程度し終わってダウン。そのため、今朝は5時から続きをして2時間掛けてやっと終わりました。もっとも、苔の中にある2㎝程度の草は根まで抜くことが出来ず、しばらくすればまた伸びてくると思います。それでもなんとか綺麗にはなっていますが、腰や指先は痛いし立ち上がるとフラッと眩暈がするしで、今日一日使い物になりそうもありません。つくづく《年齢》を感じます。

アベノマスクで失敗し、星野源とのコラボで失敗し、給付金の支給で失敗し、唯一当てにしていた検察総長の定年延期で失敗し、加えて元法務大臣が逮捕されるという事態で完全に立場のなくなった安倍総理が「政治生命を懸ける」と言い続けた《憲法改定》ですが、ついに「ここまでやるか」とあきれて口がふさがらないものが発信されました。
ダーウィンの『進化論』は誰にでも知られている説ですが、この『進化論』を人間社会に当てはめて《優勝劣敗》による人間の自然淘汰を唱え、優性であるゲルマン民族との血の交わりを否定して数百万人ものユダヤ人の虐殺を命じたナチスドイツの存在から「進化論の安易な政治への応用は危険」との考えが生まれ、しかも現在ではその『進化論』の《誤用例》さえも提示されているのに、その《誤用例》をそのまま使って《堂々と》「今こそ憲法改正が必要である」と、自民党のウェブサイトやツィッターで発信しているのです。そこには「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。だからこそ、これからの日本をより発展させるために、いま憲法改正が必要と考える」というものですが、これがどれほど《国民を馬鹿にした言葉》なのかということが分からないとは、あきれて口がふさがりません。
(せめて《口直し》に、綺麗な花でも見ましょうか)

今朝もさわやかな夜明けを迎えました。境内に置いているメダカの簾も今朝は外して、太陽をいっぱい浴びさせます。これが真夏ならば水温が上がってくるので外すことはしないのですが、たまには《日光浴》もいいでしょう。この鉢からは2回睡蓮が咲きましたが、今は蕾もないようです。もしかすると、今年はもう咲かないかもしれませんね。それに反して、裏庭の雑草は苔を覆うほどに生えています。早く抜いてやらないと大変なことになりますが、以前に雨とヤブ蚊の攻撃にあったので、あと一歩踏み出せません。一度踏み出せばなんとかなるのですが・・・。《体力》と《気力》の減少にかこつけて動いていない昨今ですが、亡母が突発の脳内出血で倒れたのが72歳の11月(ちょうど父の誕生日でした)で私も5ケ月後にはそれと同じ年齢になりますが、この時期になるといつも朝早くから草取りをしていた母でしたから、それに倣って私も頑張らないといけないのですがねぇ。どこかの総理と同様に、なかなか《思い》に《行動》が伴ってこないことです。

昨日は「寒い!」の一言。郵便局に投函に行くだけでしたが、半袖が寒いと感じたのは今年初めてでした。テレビで誰かが「20度を切って寒いと感じるとは、異常ですよね」と言っていましたが、本当にそう感じた昨日でした。数年前の盆参りでは《熱中症》で15日の朝は立ち上がれなかったことがありました(点滴を受けてお参りに出た)が、今年のように不安定な気温の連続では体調管理が難しく、また《悪夢》が蘇りそうです。とりあえず盆参りは例年通りの予定(コロナが拡大しない限り)ですが、盆の期間だけはコロナよりも猛暑(酷暑?)の方が恐い私です。なにしろ真夏でも下着・襦袢・白衣・法衣と4枚も着ているのですからね。
ところで、以前「泰山木の古葉が若葉に席を譲っている」ということを書きましたが、いよいよ真っ白の花を咲かせる時期になりました。葉の陰にあるので写真を撮るのが難しいのですが、両の掌で包み込んでいるかのようにふっくらとした花です。

本願寺出版部への注文書に押印を忘れていたので送り返されました。すぐに押印して再送付しましたので、注文した本が5冊届きました。『本願寺ものがたり』『救いの源流』『赤いバラは赤いまま』そして仏典童話集『羽の水』と本願寺の書院等にある花卉図を纏めた『本願寺に咲く花』の5冊です。特に『本願寺に咲く花』は今まで念仏奉仕団対参拝で何度も訪れて拝見していた各部屋の花ですが、今改めて本を見ると、気が付かなかった(と言うよりも、そこまで熱心に見ていなかった)ものも数多く載っていて、新鮮な気持ちになります。その他の本もこれから時間を見つけてゆっくりと読んでいくつもりですが、永代経法座の講話に使えるものがあればいいのですが・・・。今更ながら「人生は死ぬまで勉強」という言葉が身につまされることです。

玄関横には10年以上もテッセンの鉢を置いていましたが、過日に花も終わったので模様替えをしました。鉢を2つとも納骨堂の石碑奥に移動して新たにプランターを置いたのですが、実はキュウリです。昨日JAに買いに行ったのですが「時期はずれ」ということでありませんでした。しかし市内の種苗店には3本だけ残っていましたので、それを求めて植えたのです。テッセンの時には蔓が伸びても短くて日よけにはなりませんでしたが、これなら日よけになるほど伸びてくれるものと思います。それに、ご法事等でやって来る子ども達の《自然観賞》にもなる(もちろん、《実》も楽しみですが・・・)ことでしょうから。
小学校では学年を決めて夏休みに朝顔やミニトマトを育てさせるという課題もあるそうですが、「山や畑で走り回ることもしたことがない」という現代の子ども達にとっては、自然の力に触れることが出来るこんな教育があってもいいのでしょうね。当寺も広い庭があればもっと多くの《自然観賞》が出来るビオトープが造りたいのですが、現状では「夢のまた夢」です。だから、せめてキュウリの棚作りでも・・・
(キュウリの写真は苗がもう少し大きく育ってからにしますので、あしからず)

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