昨日は午前中に1件のご法事を勤めさせていただき、午後から同派寺院の永代経法座に参列させていただきました。その寺院はWebで本堂の様子を集会室等に中継するだけでなく県外のご門徒(希望者のみ)にもご法事のネット中継が出来るようにしておられました。お墓にしても今では《洋墓》なるものが数多く造られていますし、納骨の方法も《散骨》や《樹木葬》等を希望される方がおらると聞いています。お寺の在り方もどんどんと変化してきている現在、ご法義の伝道にしても、これからはどんどんと形を変えていかなくてはならない時代になったということでしょうか。そう言えば、今は当り前になっているご法事や葬儀での法話も先代の頃はなかったようですし、手作りの新聞(寺報)やホームページによる広報活動なども今の代になってから始めたものです。「人は世に連れ、世は人に連れ」とも言われますが、やはり《時代に合わせた動き》が求められるのであって、それに乗り遅れると大変なのでしょうね。(もっとも、機械オンチの私には言葉を理解するだけでも「???」の連続ですから、とてもとても・・・)
寺田寅彦の言葉が身にしみることです
やっと昨日から寺報の原稿作成に取りかかりましたが、何度か着き直しても内容に不満が生まれます。そのせいか、夜中に目が覚めると「どう書き進めようか」ということばかりが頭に浮かんでなかなか寝付けません。これが《産みの苦しみ》なのでしょうかねぇ。
ところで、今日の新聞に寺田寅彦のことが載っていました。今回の豪雨による災害もそうですが、大きな災害が出る度に寺田寅彦の言葉が使われます。そう、「災害は忘れた頃にやってくる」というものです。「50年に一度の災害」にしても「命を守る行動を」にしても毎年のように聞く言葉ですからもはや『耳にたこ』的になっていますが、それでもこのような災害に対しては「またか」ではすまされないものがあります。それは、常に《命》に関わっているものであると同時に長年築き上げてきたものすべてがなくなってしまうからであり、その後には悲しみしか残らないからです。「またか」とか「耳にたこが出来た」と感ずるものは、どこかの総理が使う常套句(「総理である私の責任です」「しっかりと説明責任を果たします」等)だけで結構です。
(今や、プランターの中は綿の苗でビッシリになっています)
ところで、今日の新聞に寺田寅彦のことが載っていました。今回の豪雨による災害もそうですが、大きな災害が出る度に寺田寅彦の言葉が使われます。そう、「災害は忘れた頃にやってくる」というものです。「50年に一度の災害」にしても「命を守る行動を」にしても毎年のように聞く言葉ですからもはや『耳にたこ』的になっていますが、それでもこのような災害に対しては「またか」ではすまされないものがあります。それは、常に《命》に関わっているものであると同時に長年築き上げてきたものすべてがなくなってしまうからであり、その後には悲しみしか残らないからです。「またか」とか「耳にたこが出来た」と感ずるものは、どこかの総理が使う常套句(「総理である私の責任です」「しっかりと説明責任を果たします」等)だけで結構です。
(今や、プランターの中は綿の苗でビッシリになっています)
鳥取にも洪水警報が出ました
九州だけでなく中部方面にも被害をもたらしている今回の豪雨ですが、昨日から今日にかけて各地に大雨洪水警報が発令され、鳥取にもとうとう洪水警報が出ました。指定地区は鳥取北部・智頭町・八頭町・若桜町などですが、ここに降った雨水は一級河川の千代川に集まって下流に流れていきます。去年はこの川が流れている用瀬(もちがせ)町で「あと10㎝で橋を越える」というところまで降ったことがありました。それでも昨夏は猛暑続きで逆に水不足に陥り、年が明けてもまったく雪が降らないで殆どのスキー場が開業できないという異常な事態に陥りましたが・・・。そして、今年もコロナ禍とともに豪雨と洪水による被害が数多くの県に広がるということは、まったく予想だにしていませんでした。幸いにして、たった今(7時29分)「解除になった」とのニュースが流れましたが、それまでは心配で心配で・・・。政府は今回の災害を《甚大被害指定》にすると発表していますが、いっそのこと「国会議員に渡したボーナスを全員から回収してそれを支援金に充てる」という発令もしてもいいのではないでしょうかねぇ。たった1人の立候補者にポンと1億5千万円出した《太っ腹》な議員の集団なんだから、それほど困ることでもないでしょう。
エアコンを掛けても換気で開放状態です
今朝もラジオで九州(南部・北部とも)に大雨が予報されていました。数日前の豪雨と洪水に続いてですからまさに「泣きっ面に蜂」でしょう。そんなニュースを布団の中で聞くことに何か罪悪感を感じてしまいます。鳥取もこの1週間の天気予報は雨続きで、今朝も降っています。雨だれの所にバケツを置いて貯まった水を植木に掛けてやるようにしていますが、この1週間はその作業も《休止》状態。それがいいのか悪いのかは別として、今もって花が萎れかけている紫陽花の剪定も済んでいません。しかし、こんなうっとおしい天気だからこそ本堂にお参りの方には高湿度が厳しく、ここ数日は出入り口を解放したままでエアコンを動かしています。これでは冷気も逃げてしまいますので本当は来月の電気代の請求書を見るのが恐いですが、これも《換気》のためには仕方ないことですし、雨の中にお参りしていただけるだけでも有り難いことだと思っています。
そう言えば、胡瓜の苗のうち1本の葉の色が以前から悪かったのですが、ご門徒から「虫が付いている」とのことで抜いてしまいました。今は濃い緑の葉をした2本だけになっています。
そう言えば、胡瓜の苗のうち1本の葉の色が以前から悪かったのですが、ご門徒から「虫が付いている」とのことで抜いてしまいました。今は濃い緑の葉をした2本だけになっています。
寺報の原案がサッパリ浮かびません
「今年は1日限定の特別という形でしたがそれでもやっと永代経法座が終わり、本堂の片付けも済んでホッとしています」と言えればいいのですが、盆参りの案内にもなっている寺報の原稿がまったく出来ていません。いつもでしたら「今号はこれについて書こう」と原案がすぐに思い浮かぶのですが今回はさっぱりで、こんなことは初めてです。昔から何か一つでも案が浮かべばそれを土台にして書き進めることが出来たのですが、今回はそれも思い浮かんできません。一体どうしたのでしょうか。最後の手段としては永代経法座で話したことを元にする方法があるのですが、どうもそれも気が進みません。何か書きたい気持ちもあることはあるのですが、それがうまく形になってこないので、困っている現在です。一度頭を空っぽにすることもいいかもしれませんが、1日1日と時間が過ぎると気ばかりあせって・・・。まぁ、明日と明後日は何も予定がないので、じっくりと考えをまとめてみます。
玄関横ではキュウリの蔓がここ数日でグンと伸び始めました。黄色の花をつける日が心待ちされることです。
玄関横ではキュウリの蔓がここ数日でグンと伸び始めました。黄色の花をつける日が心待ちされることです。
今年の永代経もなんとか・・・
昨日は40名近い人のお参りがあり、住職の拙い法話でしたがありがたいことでした。法話はコロナという名前の意味を導入にしてそこからコロナに翻弄される人間の弱さへと続け、その根底にある《三毒》につなげました。そして、それから逃れる手段としての《四諦八正道》へと話を続けた前半と、生命の鎖としての親の数を一休禅師の米倉の話を引用しながら30代まで遡り、そこから《縁起》と《同朋》へと話を続けた後半。時には脱線しながら前後併せて80分近いものになりましたが、今年は特別に1日だけの法座でしたのでなんとか法話も終えることが出来ました。相変わらず「授業のような」ものになったと自分でも思っていますが、つくづく講師の力量には頭が下がる思いです。
今朝は打敷を初めとして本堂の椅子の配置替え等、復元に一汗掻きました。
今朝は打敷を初めとして本堂の椅子の配置替え等、復元に一汗掻きました。
災害対策は今のままでいいのか
九州は沖縄県も含めて8県ですが、その中の5県に警報が出ています。中でも球磨川は一級河川でもあり、同じ一級河川の千代川が心配になりました。当寺の前にも川(袋川)が流れていますが、何年も前に河川工事で新袋川が整備されたので水はそちらに流れ、「昔は河口から舟が登ってきた」と言われた袋川も今では水量が減っています。その袋川もこのような大雨では水量が増しますが、殆どはのり面の上くらいで収まっていて、高校時代(50年前)に県庁前の増水で漕ぎ出された小舟の姿が最後の記憶です。
報道にもありましたが、わずか数十分程度で車が流されるほどの大量の水が襲ってきたときの恐怖はとても筆舌に尽くせないことでしょう。しかし、毎回言われている「50年に1度の・・・」とか「未だかつてなかった」との定型句がもはや《常套句》ではないかと思われるほど繰り返される今、根底から災害対策を考え直さなければならないのではないでしょうか。
報道にもありましたが、わずか数十分程度で車が流されるほどの大量の水が襲ってきたときの恐怖はとても筆舌に尽くせないことでしょう。しかし、毎回言われている「50年に1度の・・・」とか「未だかつてなかった」との定型句がもはや《常套句》ではないかと思われるほど繰り返される今、根底から災害対策を考え直さなければならないのではないでしょうか。
本堂の供花とその苦労話
昨日は本堂と仏間の花生け。仏間はサッと(簡単に)出来ましたが、本堂はいくら3ケ所(本尊と両脇)とは言ってもやはり時間も体力も必要です。本堂の耐震工事の時に庫裡も改装して水場を本堂の近くに設置したので楽になりましたが、それまでは亡母も私も後門が花生けの場所であり、狭い廊下と遠い水場で苦労したものです。その頃に母から花瓶の後ろ側に太い枝や板を差し込んでしっかりと留めることも教えてもらいました。今はオアシスや赤銅の筒を使って生けていますので昔ほど体力が必要ではなくなりましたが、それでも年齢が進むにしたがって体力は落ちますので、結局は「花生けは《体力勝負》」とは縁が切れそうにありませんね。とりあえず、これを書き終わったら花を長持ちさせるために花瓶の水を取り替える作業に取りかかりましょうか。
境内では紫陽花が既に終わりを迎えても真夏の代表であるサルスベリはまだ蕾状態ですが、昨日は市内のあちこちで薄紫や白の木槿(ムクゲ)が咲いていました。これを見ると、やはり「夏近し」なんですね。
境内では紫陽花が既に終わりを迎えても真夏の代表であるサルスベリはまだ蕾状態ですが、昨日は市内のあちこちで薄紫や白の木槿(ムクゲ)が咲いていました。これを見ると、やはり「夏近し」なんですね。
花生けは《工夫》と《体力》勝負です
いよいよ明後日は永代経法座ですが、今年はコロナ禍で山口の御講師には(県をまたいでの移動自粛もあり)お詫びの連絡をして私が法話をすることになっています。《3密》の関係もあって毎年2日間だったものを今年のみ1日だけと総代会で決りましたが、今日は午前中に月参りがありますので、供花の準備は午後から。打敷やお供えは明日の予定ですが、問題なのは夏は供花があまり長持ちしないこと。薬を入れたりしていろいろと工夫するのですが、やはり一度茎を切って土から引き離したものはどうしても長持ちしませんね。特に茎が細いものは水揚げも悪いし、かといってグラジオラスの花は開くとすぐに萎れるし、向日葵は葉が黄色になるし、アカバンサスはすぐにパラパラと散るしで、花を選ぶことにも苦心します。以前に華道の先生から「ミョウバンを切り口につけると、水揚げがいいですよ」と言われていましたし確かに今までもその効果は十分にありましたので、とりあえず今度もそうしてみようとは思っています。もっとも、花の種類によっては水揚げの方法が違い、蓮は茎に水をポンプで入れる(最初にホースに水を入れておくと水が吸い上げられるのと同じ原理)方法ですし、「ススキはウィスキーや焼酎につけてからにするといい」とか・・・。こうなると、花生けも《工夫》と《体力》勝負なのですね。
コロナ禍よ、早く収まれ
夕べはお通夜参りをさせていただきました。盆参りの時にはいつも抹茶を立ててくださった方ですので、そんな思い出も加えながら話をさせていただきました。しかし、ちょうどコロナ禍の時期に入院しておられたとのことで、「それでは、なかなか見舞いにも行けなかったのではありませんか」と言うと、「入口で着替えを渡すだけとか、たとえ出来ても5分程度でした」とのこと。自粛も解除されてやっと見舞いが出来るようになった途端に出た今回の4人目の陽性反応ですが、これでまた以前のようになるのでしょうか。当寺のこ門徒にも怪我等で入院されている方がありますので見舞いに行きたいのですが、もしかすると「家族以外はダメ」と言われるかもしれません。10年以上前にも病室まで見舞いに行かせてもらえないことがありましたが、それが家族であればなおさら行く方も待つ方も会えないのは寂しいことでしょうね。一日も早くコロナ禍が収まってほしいものです。