相変わらず政府関係の無駄遣いが出ています。今回のコロナ禍に対する支援金配布等では実務をする企業の途中に訳の分からない会社(役員も正社員もいない10人程度の会社)を入れ、そこに26億円以上の手数料を支払っているとか、「(決定までの)過程はどうでもいいでしょう」と言いながら数日後には「決定したのは私です」と言った防衛大臣のブルーインパルス飛行。ジェット機5機分の燃料費の調達だけでなく飛行には航空管制等に関する様々な手続きも必要であり、「現場では突然の命令に混乱をきたした」とも言われています。しかし、「安倍総理はそれを見て手を叩いて喜んでいた」とのこともあり、防衛大臣は「大勢が喜んでいるから、またやります」と言っているそうですが、これを「次期総理を目指したパフォーマンスだ」との陰口も・・・。結局は「コロナ禍で苦しんでいる国民を放っておいて、他人の金を使って自分の知名度を上げることに血眼になっている政治《屋》」ばかりなのでしょうね。教会前でインタビューを受ける為に邪魔になる(平和的な)デモを軍隊を使って後退させたトランプ大統領を「教会前で祈ることもせず、軍隊を使ってデモ隊を追い払った」と協会関係者は非難していますが、日本の国会議員は「見て見ぬ振りをする」だけで非難さえしない者ばかりなのですね。
『言霊』ではない政治家の言葉
昨日は《思い》を絵に描くことの難しさを書きましたが、それは言葉でも同じです。むしろ、言葉の方が難しいのかもしれません。今朝の新聞に「専門者会議の議事録は、出席者の了解があれば出来る」との回答が載っていましたが、これなどもどれほど閣僚が《責任転嫁》《責任放棄》をしているかが分かる発言ですが、一度口から出してしまえばもう消すことは出来ません。後で出来るのは「それは皆の誤解です」と《責任転嫁》したり、「お詫びして訂正します」と言うだけ。。今回のような未曾有の事態が次に起った時に最も必要とされるものは《過去の経験》であり、その記録ほど大切なものはないからこそ、記録は正に『宝物』なのです。それなのに、政府の言葉は「(本当は嫌だが)ほしいというなら作ってやってもいい」という《上から目線》の態度であり、そこには過去の経験に対する重要性の認識は一切ありません。
言葉というものは一度外に出してしまえば「消しゴムで消す」ことも出来ないからこそ昔から『言霊』と言われているのですが、政治家の言葉ってどうしてこんなに《軽い》のでしょうかねぇ。せめて、このやるせない気持ちは綺麗な花で紛らわせましょうか。境内だけでなく袋川ののり面も、サツキが満開ですよ。
言葉というものは一度外に出してしまえば「消しゴムで消す」ことも出来ないからこそ昔から『言霊』と言われているのですが、政治家の言葉ってどうしてこんなに《軽い》のでしょうかねぇ。せめて、このやるせない気持ちは綺麗な花で紛らわせましょうか。境内だけでなく袋川ののり面も、サツキが満開ですよ。
カレンダーのイラスト描きは難しい
「さぁ、梅雨期だ」と思って境内を眺めましたが、アジサイの1鉢が水を落としていました。早く雨が降ってほしいのですが、それよりも水を掛けてやる方が早いかもしれませんね。それとも、車を洗う度に雨に降られるジンクスがあるので、洗車をする方がいいのか・・・。
今日から6月なのでカレンダーも替えましたが、当寺作成のカレンダーに使っている赤い長靴のイラストは私の手描きです。去年から12ケ月分のイラストは全部私の手描きになりましたが、それぞれの月に合わせた絵柄にするのが難しく、絵心がない私からすると、簡単に絵手紙を描いておられる人が羨ましいことです。イメージがあってもそれを形に表わすことって、本当に難しいことですよね。
今日から6月なのでカレンダーも替えましたが、当寺作成のカレンダーに使っている赤い長靴のイラストは私の手描きです。去年から12ケ月分のイラストは全部私の手描きになりましたが、それぞれの月に合わせた絵柄にするのが難しく、絵心がない私からすると、簡単に絵手紙を描いておられる人が羨ましいことです。イメージがあってもそれを形に表わすことって、本当に難しいことですよね。