前住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の前住職の日記です。基本は毎日更新です。

昨日に比して今日は寒い一日になりそうですが、もっと背筋を凍らせるようなニュースが真夜中から飛び込んできました。真夜中の2時前にラジオから聞こえてきたのが東北・青森の震度6強とそれに伴う津波警報。夕べは疲れ(睡眠不足?)からかいつものように早く布団に入ってしまったので11時過ぎの緊急ニュースを聞くこともなく、やっと目が覚めた頃になって知ったわけです。それでも到達予想の3㍍にはならなかったのでホッとしていますが、数ヶ月前の九州の南に位置する島での地震に続いて最近になってまた東北地方にも地震が増えているので、本気で南海トラフを心配しています。
千両の実
特に鳥取は昭和18年に大地震(当寺も全壊でした)もありましたしその後も西部地震などもあって、「遠くない間に地震がおこる」と言われていますから、余計に心配です。中国山脈を挟んで南海トラフとは反対に位置する所ということで津波で被害を被った場合を見越して多くの企業が工場を設けているのも事実ですが、やはり両親から鳥取大地震とその10年後の鳥取大火災の恐ろしさを聞いているので、不安感は拭いきれませんね。
この1週間は紅白の万両の写真を載せましたが、残念ながら当寺の千両は赤一色で黄色がありません。亡母は「土が合わない」ということで千両が全く根付かなかったことを残念がっていましたが、今では以前にもここに載せたように裏庭にしっかりと根付いています。でも、黄色の千両まで望むのは欲張りでしょうか?

昨日は久しぶりの晴天でしたが、やはり本堂内は天井が低いことと空間が広いせいで寒い。そのため、ご法事の時はエアコンとストーブを早めに稼働させて事前に室内を暖めておきます。入ってこられたときに「寒い!」では申し訳ないですからね。でも、子供の頃は夏になると蚊帳を吊り、窓を開けたままにして寝ていましたし、冬には(居間では)掘り炬燵に足を入れて食事もそこでとっていました。また、夜になるとその掘りごたつやヤグラ炬燵(お客があるとヤマト炬燵の準備をしました)で暖房をとって寝ていました。そんな中でも本堂の暖房は火鉢だけで、その周りに座布団を敷いて手をあぶりながらお参りしていました。扉だけでなく廊下の板も隙間が空いているのでどうしても隙間風が入ってきましたが、それでもそれが当然という感じで過ごしていたものです。
白の万両
しかし、当時は当たり前だった積雪量50㎝(これでも最低ですよ)も今や夢のまた夢なのに、それでも暖房器具は新しいものがどんどんと世の中に出てくるのですから、我々の年代にしてみれば「今の人は軟弱になった」と言えるのかもしれませんね。まぁ、学校から帰るとランドセルを放り出して川に魚釣りに行ったり、セミやトンボを追って山を走り回っていたような《野生児》そのものという子供時代を過ごしてきたのですから、それも当然かもしれませんがねぇ。ついでに言えば、独楽回しながら追いかけっこをしたり空き地で釘刺し(釘を土に立てて陣取りをする)など、とにかく「外で遊んできなさい」と怒られていたのが当たり前でしたね。
(今日の写真は白の万両ですが、少しぶれしましました)

寺報の原稿はなんとか完成し、「さぁ印刷しよう」と思ったところが印刷機のインク切れ。慌てて事業所に連絡したところ、インクは午後になってから届いたのでやっと印刷に取りかかれました。もっとも、スタートからバタづいたせいか原稿のセットの仕方もページが左右逆になったりして、大変でしたがね。
ピンクのサザンカ
それでもなんとか印刷も終わって紙折機で半分に折るのも終了し、宅配用の封筒にも入れ終わりましたので、いよいよ最後の仕事(封筒に宛名シールを貼り、寺報を入れる)です。今週は年賀状の購入と印刷が待っているし、元旦会用の福引きに使うお菓子を買って詰め合わせをすることもあるので、ギリギリまですることが一杯です。こうなると、まさに《師走》そのものですね。
昨日は冬らしく白の山茶花でしたが、今日はピンクの山茶花の写真にしました。

数日前に今年最後の寺報(224号)の原稿は完成していたのですが、よく考えると「今年の総代会で最後の寺報に年賀の挨拶を入れて年賀状の代わりとする」と決まっていました。しかし、肝心の原稿には年賀の挨拶が入っていなかったので慌ててそれを加えることにしましたが、問題は「年賀の挨拶は別印刷にするか、それとも今の原稿の一部を年賀の挨拶に切り替えるか」ということ。最終的にB案の「一部に挨拶を入れる」ことにしましたが、そこでまた問題発生。A案の原稿の一部をコピーして別ページに持って行き、空けた場所に挨拶文を入れてB案の原稿にしたのはいいのですが、確認するとA案の元原稿が消えてしまったのです。そうなるともう完全にパニックです。幸いにして元原稿の印刷したものが手元にあったのでそれを見て打ち直し、やっと元原稿もPCに記録することが出来たのでホッとしましたが・・・。
外の霙もしばし休憩のようですが、銀杏の落ち葉の掃き集めたものを袋に入れようとするときまって霰が降り始めます。おかげで何度も途中でストップしながらやっと境内の落ち葉を袋に入れました。山茶花は「我、関せず」のように咲いていますが、今朝も散っているのを見るとガックリですします。
サザンカ
しかし、それとは別の問題が。今年はまだ賀状の購入をしていないわけですが、どうしても出さないといけないお宅(御講師や組内の寺院等)もあります。年齢のことも考えてそろそろ《年賀じまい》をしたいのですが、やはりある程度の購入は必要ですよね。

一昨日の朝7時を待ってスタンドに電話し、タイヤ交換の予約を入れました。「8時に」という予約された時間に行くともう既に交換する車で一杯でしたので、コーヒーを飲みながら時間を潰していると30分には終了。予約していたせいか思ったよりも早く終わりました。もっとも、その晩は境内に置いていた車の屋根だけでなくフロントガラスも水分の多い雪(降ったのが霙だったから)が積もっていて、走行中も速度を落とすたびに前にドサッと・・・。しかたなく、お寺に戻った後は境内ではなく第3の駐車場(1台分の屋根がある)に置きました。境内なら歩かなくても車に乗れるので助かるのですが、膝が痛む今は駐車場まで歩くのも《苦行》ですから。
車の雪
ところで、今朝は納骨堂の解錠とお墓参りの時に見ると落ち葉は小雨に濡れて地面にしがみついているので、袋に入れるのも困難です。しかも大掃除の時に小型の熊手も一緒に倉庫にしまってしまったので、かき集めるのも手箒では無理。とりあえずその熊手を取りに倉庫に行った時に、スコップと車の雪落しも持って帰りましょうかねぇ。

一昨日の早朝に落ち葉を掃き集めてホッとしたのも束の間、昨日は境内がまたもや黄金色一色に。しかも霙混じりの風のために今朝も《濡れ落ち葉》状態となり、そんな寒風の中で掃き集めるのも大変でしたが、その苦労の痕が写真にあるとおり。しかし、たった一晩でこれだけの量になると、袋に入れるのも一苦労しそうですね。せめて風だけは止んでほしいものです。そうでないと、せっかく集めた落ち葉がまた吹き飛ばされてしまいますから・・・。なお、車のフロントガラスも霙が積もっていましたが、その写真は後日に。
散動の落ち葉
掃き集めた落ち葉
しかし、これが12月(冬)の当たり前の情景だとは言え一昨日の最高気温は20度近くだったのですから、「この気温差に、体も気持ちもついていくのがやっと」と言えればいいのですが、とてもそんな悠長な気持ちにはなれません。なにしろ、掛け布団は毛布だけでも暖かい安心していたのに、昨夜は上にもう1枚ほしいと思ったほどでしたからね。

昨日は報恩講法座の時に出ていた緊急総代会を持って住職交代の件を検討し、無事に承認されました。ただし、現住職と若院が交代するということは私の妻は前坊守となって若院の妻が正式に坊守になることであり、前坊守がしていた仕事を受け継ぐことになるわけです。しかし、前坊守の仕事は多岐にわたり、中でもご門徒との触れあいが大きな意味を持っていましたが、若坊守が自分なりの方法でどこまで出来るかが今後の課題でしょう。裏庭では千両が真っ赤な実をつけていますが、前庭では万両も赤い実をつけています。何事も、ここまで育つには時間が必要なのでしょうね。
万両の実
ところで、今朝は2時に目が覚めてからそのまま寝付けず、布団の中で寝返りを打つばかりになりました。しかも、いろいろなことを考えると余計に頭が冴えてしまってますます寝付けません。特に明日は坊守の月命日であり、それに続いて6日と7日は亡母と亡父の祥月命日なので、それが気になって寝付けなくなったのです。結局3時前になって起き出し、最初に納骨堂の供花を整理してからお内仏と一緒に供花を活け替え、その後で玄関先の坊守の供花の活け替えとお墓の花も取り替えてお参り。これだけの作業で2時間近くかかり、洗濯も法衣と下着関係に分けて2度しましたので、ハムエッグを作ったりトーストを焼いてジャムをつけたりして朝食が終わったのが6時前なのに、もうグッタリ!2度目の洗濯も終わったようなので、これから干してきますので、この『独り言』はここまで。

ゆうべ法務から戻った時に見た境内は、公孫樹の落ち葉だらけ。3時過ぎに目が覚めた時にそれがどうしても気になり、そのまま布団から出て境内へ。結局、4時過ぎから40分ほどかけてゴミ袋に入れましたが、当然に《黄金の絨毯》の有様でしたから簡単には終わらず、やっと終わった時は膝は痛いし腰は痛いしで部屋に戻るのもやっと。その後は(とにかくお茶が飲みたかったので)お湯を沸かすために台所へ。そして、ホッと一息つけた今(5時30分)この欄を打ち込んでいますが、師走の呼び名どおりに多忙な12月の始まりとなりました。外では女郎蜘蛛も子孫保存のためか、必死で巣を張っています。
女郎くも
何度も添削を繰り返した今年最後の寺報はやっと原稿が完成したので印刷と発送の準備も(中頃までに)しなければいけないし、各役員達のお宅にお歳暮を持参する必要もあります。しかもお寺は職業分類上ではサービスとのことなので、こちらの事情には関係なく「待ったなし」ですからね。本当に12月は我々にとっては《師走》の言葉通りに多忙な月になりそういです。あっ、今週は気温が下がるということなので、タイヤ交換も急がないと!

夜中にウトウトしながら「聴いたことがある歌だなぁ」と思っていると、舟木一夫でした。高校3年の時の運動会でファイヤーストームに照らされながらフォークダンスをした曲が『高校3年生』でしたから懐かしい歌手なのも当然ですが、それ以外の曲もそれこそ《青春の思い出》とも言うべきものでした。
玄関先の鉢植え
ところで、《青春の思い出》と言えば、我が家にテレビが入ったのは東京オリンピックの時でしたから学生時代は音楽を聴くのはもっぱらラジオが中心であり、僧侶(と住職)の資格を得るために京都に出て下宿生活をしていた時は、それこそラジオをつけっぱなしにしていました。京都から戻ると継職法要をし、同時に教師として就職しましたが、少ない給料(初任給は12、300円でした)の中から貯金してやっと買ったステレオで最初に聴いたレコードがドボルザークの曲だったことや、しばらくしてフォークが流行りだすと最初に買ったのがグレープの『精霊流し』だったことを今でも覚えています。そのために、今年の報恩講法座で御講師からさだまさしの話が出た時には本当に懐かしく思われたことです。
いよいよ今日から12月。師走の名のごとく毎日忙しく動き回ることになりそうですが、これに雪が降ったら玄関先の鉢植えの真っ赤な実も映えてくるのでしょうね。

夕べから上掛けに毛布を使うことにしました。この毛布は坊守が発病するまでは「温かい」と言って冬場になると使っていたものですが、その後は洗濯したまましまっていたもの。しかし、昨日までの重い掛け布団(パッチワークの上掛けも入れて)に降参して、とうとう持ち出して私もそれを使うことにしました。坊守が言っていたようにやはり軽いだけでなくそれだけで温かく眠れたので、こんなことならもっと早く使えばよかったと思いましたが、ただひとつ問題が・・・。それは、寝返りを打つたびに毛布を引っ張るので、朝起きたら片方にズレてしまっていることです。そのために起き出したらちゃんと掛け直し(ベッドメイク)をしないといけないということになりますが、まぁその程度はたいした負担でもないし、やはり《軽くて温かい》ことには代えられませんよね。
咲き残りの秀明菊
しかし、11月も今日で終わりですが、朝晩の気温差には参ります。境内の秀明菊は白も赤も枯れていますが、ただ納骨堂裏に生えているものだけはこの寒さの中で生き残りの花を咲かせています。それこそ「ど根性!」と言うべきかもしれませんが、明日から師走なのでそろそろタイヤ交換もしないといけません。これだけはなかなか「よし、やろう!」という気になりませんが、以前は自分でしていた交換も今ではスタンド任せですから、要は「持って行く」だけなのですよねぇ。残り1ケ月が過ぎると、いよいよ私も亡父と同じ歳になりますから、この秀明菊のように《必死》にならないといけないでしょうがね。

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