昨日は「桜土手の秋」を書きましたが、目を西側に転ずると別の様子が映ります。いつ、誰が採るのか分かりませんが、下記の実が鈴なりなのです。以前にもこの柿のことは書きましたが、本当に《鈴なり》と言ってもいいほどの状態です。でも、今までそれを採っている人を見たことがないのですよね。
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そう言えば、先日の新聞(投稿欄)に庭の柿の思い出を書いたものが載っていました。「今は枝切り鋏で採るが、その時の父親は竹の先を割った棹で枝を挟んで採っていた」ということから始まって「そんなことを思い出しながら今回久しぶりに採り、皮を剥いてから熱湯で消毒して吊し柿にした」という内容でしたが、私も子どもの頃に親戚で柿の実を採った(木登りが苦手だったので、下で受け取るだけ)時には《竹の先を割った棹》だったという懐かしい記憶が・・・。とにかくあの頃は何をするにしても道具はいつも手作りで、蝉取りにしても網ではなくて女郎蜘蛛の糸を絡めた針金を竹の先につけたものでした。また、竹馬は亡父が作ってくれましたが、小学校の高学年や中学生になると雪の下から取ってきた竹の花立てを割って七輪の熱で曲げて自分で橇に取り付けたりしました。たこ揚げのたこも半紙と竹ひごを使って自作していたように、本当に何もかも手作りの時代でしたね、あの頃は。ただ、皆が遊んでいたゲンジー(メクーンコのこと)やラムネ(ビータ玉のこと)等は小遣いがなく買えず、仲間入り出来なかったのは辛い思い出ですが・・・。