毎日毎日が落ち葉との戦い(?)で、毎年のこととはいえ、朝起きた時に見る境内の公孫樹にはガックリです。しかし、この公孫樹よりも小さな紅葉は秋の情緒を表すものとして料理を彩ることは今の季節にはよく見られるものです。その《秋の風物詩》である紅葉を「多忙で里山に取りに行く暇がなかった」というだけの理由で近くの寺院に行ってそこの紅葉の枝を折って持ち去った、ということが京都でありましたが、その寺院とは古刹で有名な建仁寺であり、そこの塀に登って紅葉を採ったのはミシュラン2つ星として有名なレストランですから、もう「何をか言わんや」です。(しかも、その行為は数回に及ぶとのこと)
舞い落ちる桜の花びらを追いかけたり、降り積もった花びらをすくって蒔く子ども達の姿は春の風物詩として微笑ましいものですが、世の中には折角咲いた枝を折ったり庭先に咲いているチューリップや紫陽花などをなぎ倒していく人達がいる反面、熱戦の後の観客席や控え室を綺麗にして引き上げる人達もいます。そして、その姿を逆回しして「負けた腹いせにゴミを散らかしていく日本人」と投稿したイギリスの記者(これには激しいブーイングが出ている)のように、ただ《話題になる=受け狙い》ことだけを目的にするというズレた感覚の人も多くいるようですがねぇ。
舞い落ちる桜の花びらを追いかけたり、降り積もった花びらをすくって蒔く子ども達の姿は春の風物詩として微笑ましいものですが、世の中には折角咲いた枝を折ったり庭先に咲いているチューリップや紫陽花などをなぎ倒していく人達がいる反面、熱戦の後の観客席や控え室を綺麗にして引き上げる人達もいます。そして、その姿を逆回しして「負けた腹いせにゴミを散らかしていく日本人」と投稿したイギリスの記者(これには激しいブーイングが出ている)のように、ただ《話題になる=受け狙い》ことだけを目的にするというズレた感覚の人も多くいるようですがねぇ。
コメント