住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2021年05月

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今日は待ちに待った(?)ワクチン接種の日です。と言っても第2回は3週間後ですからまだまだ「終わり!」とはいきませんが、それでも一安心です。しかし、菅総理の《必死》と言うか《なりふり構わぬ》と言うか、「なんとしてでも7月中に終わらせろ」と言うばかりに、10歳代の若者も含めた一般の者への同時進行も命じたようです。結局のところ菅総理の頭の中にあるものは「国民の生命と健康を考えている」のではなく、「何が何でもオリンピックを開始するぞ」というワンフレーズしかないようです。もっとも、「プロ野球やJリーグも無事に出来たのだから」というのが総理を初めとした組織委員会の理由のようですが、観客が会場のある地域を中心とした者になるものと全世界から集まってくる者という違いも無視した《自己流》の説明で国民を納得させられると思っているのですから、あきれるばかりです。おまけに、周りにいるのがそんな理由を何の疑問も持たないで《提灯持ち》のように報道しているメディアばかりですから、もはや国民の《頼みの綱》はワクチン接種だけしかないというのも当然なのであり、だからこそ「電話が通じない」とか「ネットなんか分からない」と高齢者の騒動が起こっているのですがねぇ。
ところで、先日書いていた胡瓜の葉について専門家に聞くと、はやはり『うどんこ病』でした。さっそく溶剤を購入してスプレーしましたが、ついでに境内にあるバラの鉢植えにもアブラムシよけに吹きかけておきました。なにしろ毎年のようにアブラムシにやられて葉が散っていたものですから、これでなんとかなればいいのですが・・・。

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昨夜は久しぶりに坊守と2人で映画鑑賞に行きました。鳥取市内に1ケ所だけある映画館でしたが、鑑賞したのは我々を含めて3組(7人)だけ。最終(18時~20時)の放映のせいかもしれませんが、やはり少ないですね。でも、映画そのものは心に響く内容でした。
映画は『いのちの停車場』(南杏子原作)で、「患者の治療が医師の仕事」と思い込んでいた救急救命センターの医師である主人公がある事情で故郷の在宅医療を専門とする病院に勤めていくという内容です。そして、そこで《死》を身近に感じながら生きている人々に触れることで夫婦として、また家族としての愛情の深さを知りつつ、自らも脳卒中後疼痛による激しい苦痛に苦しんで「死なせてくれ」と叫ぶ父に対して1人の医師としてそして娘として苦悩する姿が描かれていますが、その作品の根底を貫いているものはセリフの中に度々登場する《家族》という言葉であったのかもしれませんね。
7人兄姉の末っ子で健在なのは3人の姉だけという私も既に《前期高齢者》の仲間入りをしている現在、この映画によってますます今の家族(特に坊守)の存在を強く思い知らされた気がしています。

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朝の仕事としてまず最初にすることは玄関と納骨堂の解錠。お仏飯をお供えした後は向拝を掃いて(黄砂のせいか、少しホコリがある)から拭き掃除にかかりました。向拝から見ると境内のあちこちに落ち葉が散っていますので、この『独り言』を書き終わったら境内の掃き掃除をしないといけないようです。
ところで、先日に本堂裏の窓を開けると、牡丹の株から芍薬が咲いているのに気がつきました。牡丹は芍薬の株に接ぎ木して育てるということは以前にも聞いており、その現象を《先祖返り》と呼ぶことも知っていたのでそれ自体は驚きはしなかったのですが、部屋の窓からは陰になっているので見えなかったせいもあり、反対側(公園側)に植えてある桜桃は実が色づいたのも、そしてそれが全部小鳥に食べられたのもすべて気づいていましたが、まさかそこに芍薬が咲いていたなんて、まったく気づきませんでした。花は既に散り始めていたので写真も撮っておらず、本当に残念です。《残念》と言えばもう一つ。玄関横に植えている胡瓜の葉が数枚白くなっています。もしかすると《うどんこ病》ではないかと思っても処置の方法も薬品の分かりませんのでそのままにしていますが、昨日から《夏日》を思わせる太陽に照らされているので、これからどうなりるのか心配事がまた一つ増えました。

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今年も『サラリーマン川柳』の優秀賞作品が発表されましたが、やはりと言うか、コロナに関係しものが多いでね。もともと川柳というものは「クスッ」と笑ったり「うんうん」と納得したりするような、言うならば「生活に密着した一瞬の心の動き」を詠い上げたものでしょう。そのため、喜怒哀楽の感情だけでなく時には家族に対する恨みっぽい感情でさえも《笑い》という感情で包み込んでしまい、結局は《納得》ということで終わらせてしまう要素を持った17音の言語文化ですが、今年の『サラリマン川柳』の優秀作は「会社へは 上司は来るな 妻は行け」でした。
今までの出勤という形がリモートに変化したため、「家にいながら服を着替え、PCの画面を前にして相手としゃべる」という夫の存在が妻にとっては《うっとおしい》存在に変わってしまったという、「家にいながら《居場所をなくした》夫」の悲哀を詠ったものです。この中では夫婦2名だけの関係ですが、その中に《リモート学習》になった子どもの存在があれば、もっと家庭が《暖かい空間》から互いに話しかける余裕もない《ギスギスした空間》に変わっていく内容になったことでしょう。しかし、それを夫婦だけの空間にして《夫の悲哀》という「泣き笑いを込めた納得」で終わっているからこそ、優秀作品に選ばれたのだと思います。でも、今のご時世にいくら会社帰りの唯一の楽しみであっても、《路上飲み》だけはやめましょうね。

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夕べからの雨は、植え替えした鉢植えにとっては慈雨でしょうね。
ところで、郊外を車で走ると殆どの田圃には水が張られていますし、横の方では苗を乗せた田植え機が鎮座しています。そんな中ですが、日曜日に郊外に行くと腰を曲げて田植えをしている五月女(お年寄りでしたが)を見かけました。田植え機ばかりの中で手植えをしている姿を見ると、子どもの頃を思い出して何かホッとするものですね。でも、私も草取りで十分すぎるほど経験していますが、腰を曲げた状態をしばらく続けると辛いのですよね。そんな時は時々意識的に腰をそらせて伸ばすようにしていますが、最近は座り込んだ状態で草取りをしないと続かなくなりました。とは言え田植えでは「座り込んで」とはいかないから、それを考えると本当に田植えの苦労が忍ばれることです。《梅雨》という言葉からはどうとても《五月女》という言葉が「爽やかなイメージ」として浮かぶのですが・・・。
そう言えば、今年は梅雨入りが例年に比べて22日も早かったのですが、梅雨明けは7月初旬らしいとのこと。今しばらくはシトシトジメジメから逃れられないようですね。

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