住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2022年09月

昨日は法務で郊外に出かけましたが、途中の田圃では殆ど終わっている中で所々の田では稲刈りをしていました。そして道路脇に立っている柿の木ではもう実が色付いています。そう言えば、川向こうには柿の木があって実がたわわに実っています(誰も採らない?)し、川下の橋のたもとにある石榴の木には実がはじけそうになっています。残念ながら、側を通る時はいつもカメラを持っていないので写真を撮っていませんが、いつか撮りに行ってきたいものです。
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まだ残暑が残っているとはいえ秋風が吹いてきた境内では秋明菊が伸びていますが、1本だけある木瓜の木では何故か花が1輪だけ咲いていました。《狂い咲き》ではなく暑さの残った陽光に誘われて咲いたのでしょうが、可愛いらしいのでパチリ。今日はその写真にします。

昨日の朝方に境内の花の写真を撮って回りましたが、金木犀のつぼみが膨らんでいるのに気付きました。「この分では2~3日中に香り出すぞ」とウキウキしてきましたが、早くも夕方にうっすらと香りが漂い
始め、今朝は道路側にも香りが漂っています。ただ困るのは、この後にやってくる落花で地面が黄色に染まってしまうことです。何事も「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」ということなのでしょうね。でも、都会の子ども達にとってこの香りは《トイレの香り》なのだそうです。人工の香りがあふれている現在だからこその《笑い話》なのでしょうね。
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ホトトギスも蕾をつけ始めましたし、これからはまたしばらくあちこちに咲く花を見るのが楽しみになりそうです。

昨日に続いて今朝も雨。昔から「秋の長雨」とは言いますが、これもそうなのでしょうか。
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ところで、実に5時間にも及んだ昨日の国葬では、開会前の男子トイレに数十人が並んで大騒ぎだったとか・・・。それはともかくとして、(私的な感覚ですが)なんとなく全体の動きにメリハリが感じられず、「関係者には《脚本のとおりに動かねばならない》という意識が強すぎる」と思われたことです。その例として、国葬反対をシュプレヒコールする人達に向かって文句を言った人が警護していた警察官達に取り囲まれ、連れ出されたという場面もあります。これも警護をしている者にとっては「大声=問題行動」という認識しかなかったことが伝わってきて、いかに指示と理解が中途半端でしかなかったかが分かります。多額の税金と2ヶ月にも及ぶ時間をただ単に儀式を《無事に終えること》に費やされたのかと思うと、ちょっと残念です。

昨夜は寺報原稿の見直しをして、最終的に1/3程度の書き直しをしました。この点でPCは楽ですね。
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寺報の第1号を作ったのは45年近く前(息子の誕生に併せて)ですから、当然のことPCなどはなくてタイプライターでした。何しろタイプは1文字打つごとにガチャッという音がしましたし、フォントも小さい上に間違えても訂正が出来ないこともあって苦労しましたが、ワープロが登場した時には嬉しかったですね。最初に購入したのは5インチフロッピーで高価でしたが、なんとか給料をはたいて購入。しかし、その直ぐ後に3.5インチフロッピーのワープロが出た時には「どうしてそのことを教えてくれなかったのか」と《怒り心頭》になりましたがね。そして次にPCが出た時にはワープルとは違う操作にウロウロしながら必死で覚えたものでした。印刷機についてもこの半世紀の間にガリ版から現在の印刷機まで殆どを使いこなした(?)のも、懐かしい思い出です。しかし、今号の原稿作成では内容面でなんとなく疲れました。

いよいよ今年も秋のお彼岸の最終日となりました。2度とも連休に台風の襲来が報じられてビクビクドキドキでしたが、幸いにして大きな被害もなく今日を迎えました。明朝には山門の幕や納骨堂と本堂の打敷を外して「次の行事(報恩講法座)までちょっと一休み」といきたいところですが、なかなかそうは出来そうもないのが寺院の持つ特徴の一つでしょう。法務以外にも毎月実施している仏婦研修会もありますし、令和5年のカレンダー製本前の打ち合わせや第208号の寺報(報恩講法座の案内も併せて)の発行もあります。一応の準備は済んでいるとはいえ最終チェック等を含めてまだ完了というわけではないので、今しばらくバタバタですし、「鉢植えを含めて境内の植木の方も少し手を入れたい所もある」なんて考えると、毎年のことながら「もういいや」と投げてしまいたくなる10月になりそうです。
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しかし、継職してからこんな50年間をなんとか過ごしてこられたのも、坊守とご門徒の支えがあったからでしょうね。

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