住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2022年10月

夕べから今朝にかけての寒さは一入でなく、ベストでは背中は温かくなっても腕は寒いので、さすがに早朝はベストの代わりにフリースを着こんだことです。そんな中でも庭では石蕗があちこちで満開ですが。
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ところで、今朝の仕事は令和5年に年回が当たる方を調べて《年回帳》に記載することと、窓辺に置いている蘭の鉢植えを事務室の窓辺に移して代わりにメダカを持ってくること。孵化したばかりのメダカを夏場には台所に置いていましたが、さすがにそこは冷えが厳しい場所。「せめて少しでも暖かい場所に」という《親心?》で居間の方に移動させることにしました。ここなら朝日が当たるし冬場は暖房するので、チビ助には過ごしやすいはずです。もっとも、移動した蘭の方は怒るかもしれませんが・・・。

とうとうと言うかやっとと言うか、山際大臣が辞任しました。理由は「次の国会審議に影響を与えないため」ということでしたが、会見の時の記者の質問(これからも説明責任を果たすか)に対して「しっかりとするつもりだが、一介の議員になった私に質問をする機会がありますか?」という回答。これには辞職して責任逃れをするという気持ちがありありと出ているのではありませんかねぇ。本当に議員という甘い職にしがみこうとする姿が見えてしまいますが、何故か彼らがセイダカアワダチソウとダブッてみえるのはどうしてでしょうか?
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ところで、開いた口が塞がらないのは、出生率の低下を何とかしたいという考えで妊産婦に対するクーポンの支給(10万円)をするというもの。先日もテレビ番組で移住者や子どもの数が増えている所(後醍醐天皇と関係のある隠岐島もあった)を紹介していましたが、そこに共通していたのは地域住民の協力とともに何よりも「住んで良かった」と思わせる環境整備でした。一頃は新しく開発した場所に建った何棟ものマンションに若者達が集って住んだということもありましたが、歳を取ってからの移動の不便(坂道が多い)さや買物する場所もない(または遠い)ために《開発失敗の実例》と言われている場所もあるそうですが、今回のクーポンにしても目先のことしか考えていないことがよく分かります。しかも財源は私たちの血税なんですから、余計に腹の立つ思いです。

夕べ勤められた同派寺院ご住職の通夜法要が終わって帰ろうとすると雨です。それほどひどい降りではなかったものの、雨と暗闇に加えて時折吹いてくる突風で車が横揺れする鳥取道の運転にはくたびれました。今朝は青空ですが、庭も塀の外も散り積もった金木犀の花でオレンジ色になっています。金木犀はその名のごとく金色っぽい花ですが、散るときには赤色が加わったようになります。それが夕べの風雨を受けて散ったために地面もすっかり色が変わったほどでしたが、香りがしなくなったのでもう既に散ってしまったと思っていましたが・・・。
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花と言えば、もう終わったと思っていた納骨堂側の桔梗(鉢植え)が1輪咲いています。恩賜公園の桜も《狂い咲き》しているそうですから驚くことはないのかもしれませんが、それにしても今頃咲いた桔梗にはやはり驚きますよね。

昨日はムシムシしてなんとなく気持ちが悪い1日でしたが、この欄に載せる写真がなくなったので、当寺の周りを歩きながら被写体を探しました。その中でどうしても気になるものが目に付き、ここで意見を書いてみたいと思います。
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過日の一斉清掃の時にも話題になっていましたが、袋川には水草がびっしりとはびこっていて、水が流れている様子から作られた「川」という漢字には似ても似つかない状態となっています。そのせいで草が絡まってくるのか鯉も泳ぎにくそうにしていますし、ゴミがあちこちでひかかってドブ川寸前。市街地のど真ん中を流れている川がこの姿では、もうこれが『ふるさと』の「小鮒釣りし かの川」だとはとても自信を持って言うことは出来ません。市は「法面と土手と川とは管理が違う」と言ってなかなか対応してくれませんが、そんなことでは《観光立国》とか《カニトリ県》などと観光客の誘致に精を出しても「仏作って楽しい入れず」になるのではありませんか?

2018-03-13 09.34.32
昨日は突然の訃報が入ってきました。1件は義兄(3姉の夫)の弟(元龍大教授)で大阪での葬儀であり、2件目は同派寺院の御住職で、当寺の遠縁に当たる寺院というだけでなく前門主のご巡教の時には同じ副組長として行動した方でもあります。また、個人的にもかつて青谷高校で一緒に勤務し、同じ図書館担当として生徒の作品をまとめて載せた文集を一緒に刊行した人でもあります。最近はコロナ禍のために組内寺院の会合も中止が多くなってお会いすることもなくなりましたし、地元新聞の短歌欄に投稿しておられることもありましたが、それも最近は目にすることもなくて心配しておりました。
この世に生まれた以上いつかはやってくるものとは分かっていますが、やはり心寂しいものですね。残念ながら2人とも葬儀が同じ日である上に当寺の前総代の方の一周忌と重なっていますので、ご住職のお通夜の方へお参りさせていただくことにしました。

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