住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2023年11月

氷雨がばらついている今朝は、境内が公孫樹で《濡れ落ち葉》状態です。濡れるとひっついて本当に掃き取れないのですよねぇ。とりあえず、玄関のシンピジュウムの花芽でも見て気分転換といきますか。
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ところで、いよいよ11月も今日で終わって明日から師走です。「忙しくて師が走る」という意味らしいのですが、問題は「《師》とは誰のことか?」でしょう。当寺も坊守の満中陰法要の準備だけでなく今年最後の寺報の印刷と発送に加えて喪中葉書等のこともあって、それこそ「走り回る」ほどの忙しさです。まぁ、忙しい方が悲しみに沈んでいる暇もないのでいいのですが・・・。
寺報の原稿は既に完成していますが、(原稿については必ず印刷前に一度は添削しなければいけないものなので)今回は読むのが辛いです。まぁ、次々と行事も控えているので頑張って乗り切らないといけないのですがね。

当寺の公孫樹もすっかり色づき、掃いても掃いても境内には毎朝のように散り積もっています。これが晩秋の景色なのでしょうが、やはり「いい加減にしてくれ~」と言いたくなります。特に塀の外側は街路樹の落ち葉が激しくて困りものですしね。しかし、《被写体》としての公孫樹はそれなりにいいのですがねぇ。同じ「色付いてくる」ものとしての八朔も味わうことが出来るものなのでスッパイものが好きな人にはいいのでしょうが、酸味が苦手な私には《被写体》として以外にはそれほど感動しないですね。
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今月も今日を入れて残り2日間。今月は坊守の葬儀を筆頭にその後の弔問客の対応、そして坊守の預金等の事務手続きに加えて(葬儀と報恩講法座の)費用集計等もあってバタバタとしており、普段ならばちゃんと成し遂げていたものにも失念していたことが次々と出てきて大慌てです。そのため、月末になった今日も事務仕事やら何やらと必至で動いていますが、こんな時ほど坊守がいないということの痛手がつくづくと分かり、坊守の存在の大きさを実感することです。

今月もあと3日を残すだけですが、出雲では今は10月(旧暦)ということで大きな行事が行われています。旧暦10月は出雲地方のみの別名で《神有月》とも言われ、これは「全国の神々(八百万の神)が一同に集まる」ということから呼ばれる名称ですが、その目的は「来年の縁結びをする」ということのようです。
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我々の年代は第一次ベビーブームと言われ、高校時代は1学年850名もいましたから「石を投げたら誰かに当たる」とまで言われたほどですが、今は少子高齢化の時代。しかも若者の結婚年齢が年々上がっているうえに結婚を望まない者も多いとのこと。さぞかし神々も縁結びに苦労するのではないでしょうかねぇ。まぁそんなことは神々も承知でしょうし、我々人間が心配することでもないでしょうから、任せておきますか。(何なら、その打ち合わせ場にコウノトリを加えた方がいいのかも・・・)

今朝は少しだけ暖かく感じられるようです。窓の外には青空が見えますが、天気予報ではこの週間は「曇り時々雨」とのこと。体調管理が本当に難しい昨今ですね。しかし、今朝も歩き出すと右膝の力が抜けたりガクッとしたりで痛みもありますし、やはり《完治》は難しいのでしょうかねぇ。そんな体調に反して、玄関先ではシンピジュウムの花芽がぐんぐんと伸びています。今回はどんな花が咲くのか楽しみです。
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昨日は赤いカニサボテンの鉢植えの写真を載せましたが開花しています。右隣の白は既に半の時期を終えましたが、その後を追うように開いた赤のカニサボテンもきれいですよね。

仕事柄いろいろな方の《死》に出会います。中には「ずっと自宅で看病していたのに、ベッドを離れていたわずかな間に祖母の息が止まっていた」と言われた方もありましたが、どんな理由があってもその時医師が側にいないと《不審死》となります。しかし、そんなことよりももっと辛いのは「死に目に会えなかった」ということではないでしょうか。
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グリーフケアの提唱者は「配偶者を失うことは、自分の現在を失うこと」と言っていますが、まさにその通りだと思います。私は坊守の呼吸が止まる場にいたのですが、昨日の方の場合は「(奥様の)異変に気づかなかった」ということでした。坊守よりも若く健康な方でしたので伴侶の方の心痛は大変なものでしょうし、しばらくは「あの時少し気をつけていれば・・・」という悔恨の気持ちが拭いきれないかもしれません。だからこそ、そのような悲しみや悔恨の日々を送る人を支える存在が必要なのではありませんか。「何かをする」ということではなく、この鉢植えのように「黙って寄り添ってあげる」だけでいいのですが・・・。

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