住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2024年01月

時間は本当に早く過ぎ去るものですが、元旦早々の地震(加えて液状化と津波も)で大きな被害を出し、厳寒の中にライフラインである水道が断水の状態でいる富山と石川の人達にとっては春の暖かさが待ち遠しいのでしょうが、崩れ落ちた家々や寸断されたままの道路という光景は今なお続いています。しかも政府は万博の成功しか頭にないのか、資材や人材の供給にしても「不足していない」と断言したり記念硬貨の発行を盛んにアピールしている状態ですので、一体復興はいつになるのでしょうかねぇ。
IMG_3165
ところで、いよいよ1月も今日までで明日から2月です。玄関の人形も雪地蔵から雛人形に衣替えしないといけないのでしょうね。旧暦では《如月》で「衣を重ねて着るほど寒い月」という寒さも本格的な月ということなのですが、昨年の地球温暖化による猛暑の関係で暖冬になり、ドカ雪はあったもののたちまち溶けてしまう現状。しかも「今年は2月早くから暖かい日が続き、桜の開花も早い」との予報も出ていますので、今年はますます《地球沸騰化》に見舞われてまたもや《猛暑》《酷暑》に悩まされそうです。

昨夜は坊守の友人のお通夜をお勤めをしましたが、挨拶に来られた娘から最初に出た言葉が「優子さん、迎えに来るのが早すぎる」というものでした。最初に往った坊守に対するのと同じく今回の母親の死を悲しんでいる気持ちはよく分かりますが、その言葉を聞いて「本当に迎えに来てくれるなら、私の方を先にしてほしい」という気持ちで一杯でした。でも、そんなことは言えませんよね。それに、坊守ならむしろ「もっと頑張らないとダメでしょう」と叱るはずですし・・・。
IMG_3172
IMG_3171
仕事柄とはいえこのような場面には何度も出会いますが、やはり最愛の人との別れという同じ経験をした者としては残された家族の辛さ悲しさは十分すぎるほど分かります。だからこそ読経後の法話はできる限り分かりやすくしかも相手の心に届くように努力をしているつもりですが、坊守の友達だったからこそ余計に昨夜の法話は辛かったですね。
境内も遊歩道も、この度のドカ雪は早くも溶け始めています。今年は春になるのが早いとのことですが、猛暑だけはもう勘弁してください。

去年は《後期高齢者》になってことを盛んに吹聴していましたが、早いもので昨日から76歳です。そうなると、もう「後期高齢者になった」という言葉は使いにくいですね。坊守の葬儀の後で息子(副住職)から「(前住職と同じ)1年と1日だけは止めてくれ」と言われた時に「じゃあ、1年と2日ならいいか」と言い返しましたこともありました。しかし、本当にその時がいつやってくるのか、果たして亡父の歳を追い越すのかはたまた追い越しきれないのかは誰にも分からないので《今》を頑張るしかないのですが、坊母と亡父の歳の真ん中だった私が今年からは亡父の歳に近づいていくわけです。そして、そんな私にとって昨夜に放映されたテレビ番組『ポツンと一軒家』には胸が詰まりました。
IMG_3166
住人は17年前から奥さんと2人だけで山奥の家で生活をしていた人でしたが、その奥さんが癌で2年後に死去。「死ぬ時って、スーッと息が消えていくのですよね」という言葉や「それからしばらくは、何しても寂しさが消えなかった」という言葉。そして「それからの15年間は、妻が好きだったこの雄大な景色が見晴らせるようにと、木々の剪定やお墓の手入れを欠かさないのが仕事です」というご主人の話に自分をダブらせていた人も多かったのではないでしょうか。
(玄関のシンピジュウムも今ではすっかり花を開ききっています。時間というものは気づかないうちにどんどんと経っているんですね)

一昨日は坊守と昨春に話していながらこちらの日程が取れなかったことと坊守の病気が重くなったために実行できなかった1泊旅行を実行しました。雪は山陰道よりも着いてからの方が多くて普段履きの靴も持っていって正解でした(帰りは普段履きでOK)が、問題は2日目の行程。映画のチケットが完売で取れなかったりして計画自体が無理になったことと副住から法務の連絡も入ってきたので、結局は予定を切り上げて昼頃に帰寺となりました。運転は信号につかまった以外はアクセルを踏みっぱなしだったので車から降りた途端に膝がガクッとしたりしていつも以上に疲れましたが、それでも我々を覚えていた人が私の前に坊守の写真を置いているところを撮してスタンドにしてくれたことが唯一最大の土産になりました。(それはここには載せません。あしからず)
IMG_3155
もう一つ残念なことは、やっと開花した胡蝶蘭の茎を針金に留めようとしてうっかりと折ってしまったこと。折角なのでそれは仏間の坊守の写真の前に活けておきましたが、普段ならこんなことはしないのに、やはり今までの疲れが残っていたのでしょうか?
それでも、またいつか機会があったら、坊守の写真を持って思い出の地に出かけたいものです。

昨日は参道がすんでから第3駐車場の除雪をしましたが、そこまで除雪機を移動させるのが困難でした。なにしろ遊歩道は全く除雪されていないので車道を行くしかなく、後ろから車が来る度に道路脇に移るはめに・・・。そのために「帰りは遊歩道の除雪をしながら」ということになりましたが、橋から橋まではとても無理。結局は体力の限界で山門の前までしか除雪することが出来ませんでした。
IMG_3158
ところで、「兵庫県の方では、子ども達の通学もあるので行政がちゃんと除雪している所もある」と聞いていますし、遊歩道も《歩道》(しかも、当時の住民の意見を無視して作った)なのだから、ここも責任を持って市がすべきとは思いますが?
この雪をかぶって、折角咲いた蝋梅も黄色から白に《変色》してしまったようです。

↑このページのトップヘ