住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2024年04月

今日は石田雲鶴さんの受章祝賀会に招待されましたので、お昼にお祝いに行きます。そして、明日は坊守の実家のご門徒様方がおいでになります。当寺へのお参りの後で昨日オープンになった『砂の美術館』と因幡の源左さんのお寺、そして明日は足立美術館というコースだそうですが、実は私はまだ砂の美術館と足立美術館へ行ったことがありません。よく「近くにいる者は、案外観光地に行っていない」と言われていて、私も京都に住んでいた2年間に行った観光地はほんの数ケ所だけ。そして人を連れて行ったことは何度もあっても砂の美術館へ入ったことがないのが実情です。観光客の多さに気疲れして途中で諦めた大阪万博がトラウマになっているせいではないでしょうが、大根島の牡丹園も同様にどうも観光客の多い場所は今でも苦手ですね。
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牡丹と言えば、境内にきれいに咲いたピンクの牡丹を切つて(玄関に置いている)坊守の写真に飾りましたよ。

イチハツがちょっと目を離していた間にすっかり開ききってしまいました。床の間に生けようとしていたので、これを書き終わったらまだ蕾のあるものを探しに行ってきます。ただ野良猫に餌をやる人がいるので、この辺りはそのせいか踏み荒らされて悲惨な状態です。IMG_3289

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しかし、このイチハツだけでなく境内のあちこちでは牡丹もツツジも色を持ち始めています。ツツジは一番最初に咲くのはキリシマで、次がドウダン、そして最後がサツキだったと思っていますが、うろ覚えなのではっきりしません。しかし、このツツジを見ると、もう40年近く前に坊守の実家へ行った時に博物館の所の法面にツツジが満開になっていたのを懐かしく思い出します。あの当時は車を借りて1人で博物館に行ったり喫茶店(関門橋の近くなので、たしかブリッジという名前でした)で時間をつぶしたり、また乃木神社の辺りを散策したりして坊守の実家なのにのんびりと過ごしていました(坊守は義母さんと話をしていた)が、今から思えばどれもこれも懐かしい思い出です。

やっと今年最初の寺報とその他の資料を完成し、昨日は宅配と送付用の封筒を作り終えました。
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しかし残っているのが最も大変な作業で、寺報・総代会の報告書・前進座の公演案内等数々の資料の印刷と紙折、そして封筒詰めです。当然資料の種類によっては紙の大きさや厚さも違うのでワンセットにしながら封筒詰めするのも大変な作業ですし、完成してからも宅配していただく家に持参したり局に持っていったりする仕事もあるので、頭がこんがらがりそうです。牡丹は少しずつ開花の準備が進んでいますが、私の仕事はほっといても進むというものではありまのせん。
坊守はいつも「あなた1人でしたらダメですよ」と言って何人かのご門徒にお手伝いを頼んでくれていましたが、(勿論私が頼んでも手伝っていただけますが)事前準備で披露困憊している身には後ろで支えてくれた坊守の大きさが懐かしいことです。

毎年境内の松を初めとしていろいろな木の剪定をしてくれていた人から「体を悪くしたので、今年から剪定を止める」との連絡が来ました。そのため過日の総代会で報告して総代から別の業者を紹介してもらうことになりましたが、公孫樹のことも話題に出ました。
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なにしろ狭い境内に対してあまりにも公孫樹が育ちすぎ、落葉で樋が詰まったり植木の中まで散った葉の始末で毎年苦労していることなどを話すと「それでは切り倒したら?」ということになりました。松は私の子どもの時に馬車で持って来たのを覚えていますが、公孫樹はいつ頃植えたのか全く記憶もないし、それこそ本山の《水吹き公孫樹》ではないので、全員一致で切り倒すことに決定。業者の方は紹介してくれた総代が前面に立って打ち合わせしてくださることになっているのでお任せして、私は法務の方に・・・。まぁ、公孫樹がなくなる寂しさと落ち葉の処理とを比較すると、やはり落ち葉の方が(歳も加わって)数倍もキツイですからね。秋の風物詩の写真が撮れなくなるのは困りますが、その分今まで木の陰になっていた金木犀や椿か喜ぶでしょうから、よしとしましょうか。
ついでに、この牡丹を押さえつけている松の枝を少し持ち上げてもらうようにお願いしました。そうすれば真っ赤な牡丹がしっかりと見えるようになると思います。

昨日の仏婦研修会では、ずっと昔に寺報に書いていた「浄土往生するには?」というクイズを使って話しました。もともとそのクイズは3択問題なのですが、今回はその中の2つを白板に書いて「どちらが正しいか」という形式にしました。当然両方とも✖なんですが・・・。
   1、一生懸命に念仏を称えることで22
   2、嘘をつかず、誠実であることで
『仏説阿弥陀経』にも説かれていることもあり、法然上人の《念仏往生》の教えの惹かれて弟子になった親鸞聖人ですからやはり予想したとおりに2番が正しいという答が多かったのは当然ですが、それが何故違うのかを説明したわけです。親鸞聖人の《愚禿》や《凡夫》というものまで入り込まないといけないことなので易しいようで難しい説明になりましたが、何とか解説出来たように思っています。
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外では突然の突風(春の嵐)に吹かれながらタンポポが咲いています。もうすっかり春ですね。

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