住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2024年08月

今日で8月も終わり、9月(長月)に入ります。去年の今頃は8月に入ってすぐに市に申請した介護保険の申請書がまだ処理されず、坊守を入院先から家に戻せなくてイライラしていました。結局この上にまだ20日以上かかったわけですが、ご門徒にも「うちもそうだった」と言われたり、中には「親が亡くなった翌日に届いた」と怒りを込めて言われた方もありました。そのような思いを持っている人達はこの枯れた葉のように表には見えないだけで、もっと多くおられるのでしょうね。
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2ケ月ほど前の新聞にはこの介護申請に対する書類の発行が遅くなる理由が載っていましたが、それによると介護認定の度合いが決定するまでの過程の複雑さとともに人員不足だとか。確かにその新聞内容を読んだ時には理解出来る部分もありましたが、その反面何か割り切れないものを感じたことも事実です。どこかの県に『すぐやる課』というものがあるということを随分前に知った記憶がありますが、国に限らず《議員》という肩書きがついた者達の傲慢な態度に加えて裏金という事実を知らされた今では、現場で苦しんでいる人々のことを身をもって理解し、それに対して直ちに動いてくれる《公僕》の不在が感じられて情けない思いです。

ニュースをかければ必ず台風の被害を伝えていますが、鳥取は今日から明日にかけてが最も要注意とのこと。ただ現時点(4時30分)はその兆候もなく、まさに「嵐の前の静けさ」そのものです。勿論のこと今回の大型台風には来てほしくない(雨だけはある程度ほしい)のですが、今もって木々の枝がピクリとも動かないという状態は本当に不安ですよね。
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ところで、3鉢あると言っていたタマノカンザシですが、一番小さな鉢植えの中にもっと小さな蕾が隠れていました。それがやっと小さな白い花を見せ始めたので向拝に出してやりましたが、今回の台風にあおられなければいいのですがねえ。

8月も残すところ3日となり、朝には虫の声がよく聞こえるようになりました。本当に猛暑か酷暑かと区別するのが馬鹿馬鹿しいほどの暑さもやっと終わりを迎えようとしていますが、この度の台風10号の発生で大慌ての月末になりました。
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動きが遅いだけでなく勢力も大きな今回の台風10号で、奄美大島や九州地方だけでなく北海道まで太平洋側は風と雨の被害が出ています。鳥取は今のところ全くと言っていいほど何の影響もなくて済んでいますが、昨日は伯耆町の方で大風のために家屋や鶏舎が倒壊したというニュースがあり、「台風はまだ遠くにある」といっても油断がならないようです。昨年は鳥取市佐治でも大きな被害が出て、そこでは今だに復旧完了とは言えない状態が続いていますので、今回も「台風10号のよる被害がなければいいのに」と願わずにはいられません。昨今の異常気象では「地震・雷・火事・オヤジ」に《線状降水帯》も加わる可能性もあります。
写真は根が張った草を抜くためにこの度購入した鍬です。これが役立つ程度に雨が収まれば「植木のために《適度の降雨》が降った」ということになるのですが、どうもそうはいかないようです。

台風10号が足踏みしてしているため、今週末の予定(法務依頼)が混乱しています。
納骨や墓移転のお参りも依頼されているのですが、何しろそこは山裾の墓地と藪の中の古いお墓ですので、ともに降雨の中を着物と草履姿では無理。1軒は最初から洋服布袍で行くことを了解してもらっていますが、もう1軒はご法事の後に「法衣を着替えてから行きます」と言うだけの時間的余裕があるかどうかです。最初の予定では台風の襲来が27日頃だったのでそのつもりで計画を練っていたのですが、こんなノロノロとは考えもしなかったこと。
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わざわざ早いうちから鉢植えも動かしていたのに、これですからね。まぁ、自然の動きに《人間の浅智恵》では、かなうわけはありませんがね。

あと2年で亡父の歳になる今、その父のことが懐かしく思い出されました。もともと京都出身の父は近衛兵で騎馬隊に所属した(その時の写真がある)ため、馬上で使うために短剣に有段者だったそうです。しかもその他にもいろいろと趣味が広くて若い時にはマンドリンも弾いたそうですが、一番好きだったのは野球で、ショートやサードを守っていたと聞いたことがあります。なにしろ結婚して入寺した時はお参りの途中で布袍のまま野球をし、ご門徒のおばあさんに法衣を繕ってもらったこともあったとか・・・。
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そんな父ですが、地震や大火のために苦しい生活だった私の子どもの頃には当然に遊び道具を買うことも出来なかったので、知らない間に竹馬(足場が普通の高さのものと1㍍以上もあったもの)や水鉄砲を作ってくれていました。当然にそれで遊び回っていましたが、私も好奇心旺盛な性格の子どもでしたからしょっちゅう物を分解して元に戻らなくなったりしましたが、その水鉄砲も「穴が大きければ、もっとたくさんの水が飛ぶはず」と考えてダメにしてしまいました。今から考えると「いつ作ったのだろう」とか「材料はどうして手に入れたのだろう」と疑問ばかりですが、なにしろ子どもですからそんなことはまったく頭になく、とにかく亡父が作ってくれたもので楽しんでいましたね。
7月にスッパリと丸坊主にした私を見て息子が「おじいちゃんそっくりだ」といいましたが、亡父の遺影を見てつくづくと「そう言えば、似てるよなぁ」と懐かしく思い出されたことです。
なお、騎乗姿の写真はありますが《個人情報》なので、ここには載せません。代わりに猛暑に負けて小さく剪定された鉢植えを載せます。


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