住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2024年08月

昨日は宅参りをさせていただきましたが、暑さも加わって読経の途中で呼吸困難(?)になったのかと思いました。なにしろ読経は会話の発声とは違って腹(胸)いっぱいに吸い込んだ空気を使って読むので、それを何度も繰り返すうちに《酸素不足》になって頭がクラクラしてくることもあるのです。勿論こんなことは若い時にはなかったのですか、最近になって時々経験します。やはり《加齢》による体力不足が原因なのでしょうが、今年はそれに輪を掛けて猛暑(酷暑?)が影響しているようです。なにしろ、読経の途中で汗が流れるのを感じていたなんて、去年まではなかったことですからねぇ。
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ところで、そんな猛暑の中で咲いた《一服の涼感》がこのタノマカンザシです。3鉢中の1鉢だけですが、やはり夏定番の夾竹桃やサルスベリに感ずるものとは正反対の涼感がありますね。そう言えば、智頭鉄道にもタマノカンザシが咲く駅がありましたが、今年はその名前を使った恋の歌を募集していないのでしょうか?

昨夜はパラパラと音がしていましたが、雨かどうかは確認していません。ただ、台風の風が心配なので、お墓参り用のバケツは納骨堂の中に入れておきました。あとは鍬や熊手(大)が濡れないように倉庫にしまうつもりです。以前に出しっ放しにしていた鍬がさびてしまったことを反省していますので・・・。ただ、水撒き用のホースだけは出しっ放しにしますが、今月は余りの猛暑にこれを使う気力も失せてしまいました。(下が新しく購入したもので、今少し使い慣れません)

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しかし、今月に入って(お盆参りもあり)休む間もなかったのと目が覚めるのが早くなってしまったことで、このところ疲れが取れなくなっています。夜は早く休むようにしていますが、それでも歳のせいで夜中に寝覚めることも増え、若い頃のように「何時間でも寝ていられる」ということがやりません。やはり「寝るのも体力が必要」ということなのでしょうね。

来週は台風が接近するとのことで、風はいらないですが雨を期待しています。なにしろ、こんな状態ですからね。
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ところで、雨が降ると土が柔かくなるので草が取りやすくなります。そこで、土興しが出来る鍬を購入してきました。これで根が張っている草を掘り起こして何とか除草したいと思っているのですが、果たして上手くいくのでしょうか?
しかし、農家では既に出穂している稲ですから台風の影響を不安視しているでしょうが、2ケ月以上も降らず、しかも先日は全国一の酷暑に見舞われたのですから、今回の台風による雨を期待する気持ちがあっても仕方ない部分もありますよね。

昨日の鳥取の最高気温は異常でした。なにしろ39.7度ですからね。しかも、駅前で測っていた局の人によると41.9度近いものでしたから、発表される温度が「条件のいい場所」であることは明白です。ただ、そんな気温でも法務の時は(同じ枚数を着ていても)それほど汗が出なかったということは空気が乾燥していたということなのでしょうから、こうなるとまさに《砂漠地帯》の状態ですよね。いよいよ日本も「温帯気候よ、さらば」ということなのでしょうか?
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ところで、そんな中で初めて咲いた鉢植えがありました。これは4年前にご門徒宅からいただいたタマノカンザシですが、最初の年は枯れる寸前までになっていたのに日陰に置いてやるとなんとか元気になって葉を茂らせていたのですが、花芽が着くことはなし。しかし、今年は盆前になって葉の陰から小さな蕾が見えたのです!そして今はやっと白い花が咲いています。写真は葉の陰に隠れている時のものですが、かわいらしい花がひっそりと咲いているのを見るのは、酷暑の中の《一服の清涼剤》ですね。

この先3ケ月の長期予報が出ましたが、10月も暑さが残って秋風が吹くようになるのは11月だとか。いつもならお盆が過ぎて9月になると虫の音もうるさいほどに鳴き始めたのに、もう日本には《四季》がなくなってきたのでしょうかねぇ。ただ、来週からは連日の(雲+雨)マークで、気温も30度前半から中にはそれも切れる日があるようですが、やはり1ヶ月ずれ込んでいる感は拭えないですね。
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境内を見ると公孫樹が青々とした葉を広げていますが、今年は思い切ってズバッと剪定してもらったので本堂の屋根が隠れるほどにはなっていません。去年は毎朝のように参道が見えないほど降り積もった落ち葉に頭を悩ませていたものですが、今年はそれほどにはならないようでホッとしています。あの光景も確かに秋の風物詩として見た目にはきれいなのですが、毎朝のようにそれを掃き集めて袋に入れる苦労は大変ですからね。しかも植樹の上や下の方まで散り積もっている落ち葉を掃き集めるのは、とても言葉では言えないほどの大仕事ですから、それを想うと「禍福はあざなえる縄の如し」なのでしょうね。

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