住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の住職日記です。基本は毎日更新です。

2024年10月

一転して昨日の挨拶は「寒い!」となり、一度出してから慌ててしまった合冬兼用の掛け布団が必要になった昨夜でした。たった1日で気温が乱高下するので体調管理も追いつかず、今朝の読経も心なしか発声に力が感じられません。それとも歳のせい?
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ところで、そんな中でも元気いっぱいなのが寺の前にある花見橋(通称、赤い橋)の側の垂れ柳です。なにしろ遊歩道を通ると顔に垂れた枝がかかるほどですし、川側はまったく手が入っていなくて伸び放題。この柳は数十年前に一度倒れて新しく植え替えられたものですが、管理者は「喉元過ぎれば・・・」なのでしょうかねぇ。昔から何を言われても気にしないことを「柳に風」と言いますが、伸び放題になっている遊歩道の立木と同様にここの柳も大風が吹くと根元から倒れるのではないかと思われるほど生い茂っていますよ。

昨日と一昨日は10月も中頃になって30度のうえに(衣替えのため)冬物のためか、読経後は汗びっしょりになって心臓もバクバクしていました。ハマちゃんこと西田敏行氏は虚血性心筋梗塞での突然死でしたが、私もさすがにこの度の法務では心臓が心配になりました。会話なら1時間そこらはいくらしゃべっても平気なのですが、さすがに読経は普通の会話とは違った発声のために体力が奪われる感じです。朝晩のお勤めならそこまで疲れることはありませんが、2ケ月後には77歳になる私はこの彼岸花のようなものです。
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私が僧侶と住職の資格を得たのは地元の大学で教員資格を得てから龍大に入り直し、その時の夏休みに受けた修行後でした。そして、戻ってすぐに継職法要をしたので、もう50年近く経ったことになります。ですから、後期高齢者という年齢に季節外れの猛暑も加わって体力不足になるのももっともですよね。あと2週間したら坊守の一周忌が来ますが、亡父は1年と1日後に母の後を追うように往生しましたが、その時の父の気持ちがよく分かる昨今です。

しばらくの間釣り鉢で薄ピンクの花を楽しませてくれていたサクララン(サクラホヤとも)がとうとう萎れてしまいました。《サクラ》という名を冠していますが、桜のように花びらがパッと咲いてパッと散るというものではなく、完全に萎れると写真のように触るだけでパラパラと散り落ちてきます。
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これでまたしばらくの間は伸びた蔓だけになりますが、本当はもう少し大きな鉢に植え替えてやればいいのでしょうが、そうなると今の鉢を壊さないと取り出せないし、これ以上大きなものを吊り下げるのは厳しい。そうなると結局は《釣り鉢》を止めるしかないのでしょうが、これがまた悩みどころなのです。なにしろこの植物は蔓物ですから鉢から下に垂れ下がるようにしてしまうかそれとも支えをつけてそれに巻き付かせるかしかないですが、普通の蔓物と違って蔓自体が太い上に成長が遅いので、巻き付かせるのも簡単ではなさそうだし。そうなると結局「仕方がないからこのままに」ですかねぇ。

ここ数日の挨拶は「暑いですね」ですが、季節はあくまでも秋。土手に沿って下ると、橋のたもとにある石榴の木には実がたくさん付いています。石榴の実ははじけると真っ赤になった粒が見えますが、食べると「熟した」わりに酸っぱいだけです。もっとも、かつて当寺あった石榴の実がはじけると、亡母はいつもそれを使って《石榴酒》を造っていました。完成した酒は赤い色が綺麗でしたね。今も当寺の墓の隣に木がありますが、古木になったせいか枝を伸ばすだけで実は成りません。
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毎年その枝が墓に被さるように伸びるので1週間ほど前に剪定しましたが、石榴は大体に枝先に実をつけるので、結実しないのは剪定時期が遅くて花芽を切ってしまうためかもしれませんね。来年はもう少し早い時期に剪定してみましょうか?(でも、伸びる時季は盆後だから、その前に切っても無駄かも・・・)

一昨日から暑く、朝からいつもの長袖Tシャツでも汗が流れる気温になっています。そのため、わざわざ出してきた合冬兼用の掛布団では寝苦しくてとうとう夜中に夏布団を出してきましたが、そのせいで寝付けなくなたので結局3時前から起き出しています。多分今日は寝不足になるでしょうが、それでも法務は待ってくれませんので頑張るしかないですね。しかし、今週は最高気温が35~39度という猛暑の予報が出ていますので、まったくもって体調の管理が不可能です。
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ところで、昨日この欄に書いていた紅葉ですが、以前からある智頭橋の隣に「きなんせ橋」と銘打ったイベントの出来る広場を作ったもので、西側には流れる水で丸い石がくるくると回ったり鉢植えを設置して木を植えたりしています。そして東側にはそれぞれ釣り竿と兎を持った男女の子どもの像が建っています。
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そう、鳥取は童謡『ふるさと』の町であり、寺の北側にそびえる久松山は秀吉によって兵糧攻めをされた鳥取城があった所で「兎追いしあの山」であり、寺の前を流れる(今は水不足で水流がありません)袋川は「小鮒釣りしかの川」で、私も子どもの頃はここでよく釣りをしていたものです。ついでに、広場の《きなんせ》という言葉は鳥取方言で「おいでなさい」ですよ。

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