前住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の前住職の日記です。基本は毎日更新です。

2025年01月

「1月は往ぬる、2月は逃げる、3月は去る」とは昔から言われている言葉ですが、本当に年が明けたと思ったらもう今日が1月の最後。去年は元日早々に能登地方の大地震があったので「せめて今年は何もない年に」と願っていたのに、28日に埼玉でとんでもないことが起こりました。普段から当たり前のように車で走っていたところが突然に道路が陥没し、2tトラックもろとも10㍍も地下に落ちたというのですから!しかも、今だに運転手の捜索に手がつけられないほど道路の崩落が続いており、今朝のニュースでは「2~3日すれば何とか機材を入れて捜索が出来る」とのこと。毎日当たり前に生活している場所での捜索が山崩れで行方不明者の捜索をするよりももっと困難な様子だということは分かりますが、町のど真ん中を貫いている主要道路でこれでは、どこも安心して走れる所はありません。しかも、地下を走っている配水管の破損で20を超える市や町に生活排水の制限がかかっているので生活に必要不可欠の水なのに使えないし、おまけに何故か電話回線等の通信手段にも多大な影響が出ているとのこと。
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確かに陥没している地下にはケーブル走っているのでそれにも影響が出ているのでしょうが、無理をすればこの万両のようにポッキリと折れてしまいます。《町の発展》だけを目指して自然にあった山や田畑を潰して造り上げたツケがこんな形で来たことを、運転手の捜索等が終わったら行政は「喉元過ぎれば・・・」としないでしっかりと考えてほしいものです。

昨日は久しぶりに雪がハラハラと舞い落ちてきましたが、それだけ。確かに鳥取県でも西部は真っ白になっていましたが大雪警報は北陸から北海道にかけてとのことで、同じ鳥取でも東部(特に市内)は降雪とまではいかなかったようです。確かに風は冷たかったのですがね。数日前に「境内からは見えにくい」と書いていた蝋梅ですが、松の横からは斜め奧に見えますよ。
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ところで、「歳を取ると、時間の経つのが早くなる」とは言いますが、最近とみにそう感じています。60歳で教職を退いてから今年で17年目に入ったわけですが、同じ16年間と言っても5年間の講師時代と教師に採用されてからの11年間は右往左往しながらやっと自分なりの道を見つけた頃であり、今から思い出しても本当に《必死》で過ごした時間だったように思います。そして26年間の教職から離れて坊守と力を合わせて寺務に専念していた15年が経った時に突然にやって来た片腕(と言うよりも半身)の坊守の往生ですから、この1年3ケ月は別の意味で《必死》でなければ過ごせなかった時間となりました。昼間は何かしら仕事を見つけて動くようにしているのでまだいいのですが、夕方以降は何をする気も起きないので早々に布団にもぐり込むだけの生活。そんな中で77歳を迎えたわけですが、今年も《異常気象》になったら無事に乗り切れるのでしょうかねぇ。

昨日の午前中に出た時に菓子店で同派寺院の住職の見舞い(怪我をされたとのこと)を購入し、午後からお見舞いに出かけました。残念ながら本人はまだ入院中で会えなかったので(ついでと言えば失礼ですが)、そのまま日帰り温泉に。日帰り温泉は坊守ともよく行きましたし、少し遠いということもあってどちらかと言えば吉岡方面が多かったのですが、坊守の病状が悪化してからは看病もあってどこにも行くことがなくなり、「この温泉に2人で来てから何年になるかなぁ」などと考えながらの入浴。葬儀から1年3ケ月経った今でも、ちょっとしたことに「一緒にいればなぁ」と懐かしく思い出されることです。
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境内では除雪機も仕事がなくてぽつんとしていますが、私も温泉で十分に温まってから戻ってもやはり冬の夜は冷えるのが早く、風邪を引かないうちにさっさと布団にもぐり込みました。

今日1月28日は私の77歳の誕生日。ベビーブーム第1波の生まれであり現在の《2025年問題》にどっぷりとつかっている者の1人ですが、私自身は7人いた子ども(女4人と男3人)の中の末っ子であり、3人だけ残っている姉達も単純計算すると皆が既に80歳を超えているわけです。つまり、母親は72歳、父親は78歳でしたから既に姉達は親の歳を追い越し、私もそんな歳に近づいたということになります。
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そして、「石をなげば誰かに当たる」と言われていたほど子どもが多かった年に生を受けて多くの仲間達と一緒に(時にはいじめられて泣かされたりしたこともあった)中学・高校と進み、その後は兄の代わりに後継住職となるべき道を選ばねばならなかった私でしたが、その道を選んだからこそ大切な人とも出会うことが出来て今を迎えたわけです。もっとも、本心は《77歳》になるなんて夢にも思っていなかったですけれどねぇ。

一昨日と昨日の2日間に渡って蝋梅のことを書きましたが、この蝋梅の木には物語があります。母は昭和58年12月6日に突然の脳内出血で往生したことは以前にも書きましたが、この蝋梅の木が植木屋から届いたのはその翌年でした。実は、58年に大相撲の巡業が来るということがあり、安来にいる次姉が相撲好きの父のために2人を安来に招待したことがあって2人揃って行ったことがありました。そしてその年の11月30日(父の誕生日)に母が突然倒れて意識不明のまま往生したのですが、翌年の春に意気消沈した父の前にこの蝋梅が届いたのです。どうも茶花が好きだった母がそこで見つけた蝋梅を予約していたのでしょう。突然のことでしたが父は驚くと共に母の形見と思ったのでしょう、私に直ぐに植えるように言いました。ただ、あまりにも突然のことでどこに植えるべきか考える時間もなく、結局日当たりのいい松のそばに移植したわけです。
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今では手前の椿が育ってきたので残念ながら参道側から直接に見ることは難しくなりました(公園側からならよく見えます)が、あの時父が私に直ぐに植えるように言った気持ちが今ならよく分かります。
懐かしい思い出のある蝋梅です。(この椿は山門横にあるものです)

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