2025年04月
本堂でのご葬儀は大変でも・・・
昨日の本堂でのご葬儀では、葬儀社の人達が大勢でセッティングから片付けまでされたので無事に終わりました。その意味では確かに会館の方がこちらも楽ですが、それでもやはり皆様と一緒にご門徒がいつもお参りしておられた本堂でお勤め出来たということは、寂しいと同時に如来が側におられるように感じられて、お参りの皆様も喜んでおられるたのではないでしょうか。現在は車社会ですから、当寺の駐車場は2つとも満杯だったてようですがね。(近くに市営Pがあるので、助かっています)ただ、最後に流された『思い出の写真』を見させていただいた時には念仏奉仕団で本山に行かれた時のものもあり、それには坊守と一緒に懐かしい顔の方も大勢おられたので、胸にこみ上げるものもありましたがね。(今日の写真は本堂から見えるキリシマツツジの写真にしました)
いよいよ今日あたりからGWに突入するので旅行に出られる人も多いことでしょうが、寺院は職業分類ではサービス業ですから反対に多忙になります。もっともこの時期は田植えなどで忙しい時期でもあるうえに昔と違って「皆がいるからご先祖の法事を・・・」ということもない時勢なのでお寺もそんなに忙しくはないのですが、やはり寺院を留守にするわけにはいきませんよね。

いよいよ今日あたりからGWに突入するので旅行に出られる人も多いことでしょうが、寺院は職業分類ではサービス業ですから反対に多忙になります。もっともこの時期は田植えなどで忙しい時期でもあるうえに昔と違って「皆がいるからご先祖の法事を・・・」ということもない時勢なのでお寺もそんなに忙しくはないのですが、やはり寺院を留守にするわけにはいきませんよね。
花たちが一気に伸びています
ここ数日の気温はあいかわらず高低差(特に室内が寒い)が厳しくて、なかなかエアコンが切れません。そんな中にも草花は元気ですね。何か《一気に》という言葉がふさわしいほど成長が早いです。境内でもつい数日前までは「やっと新芽が出始めた」と思っていたのにもう花芽が伸び始めているものもありますから、来週にはそれこそ《一気に》開花することでしょう。


そう言えば、一昨年から冬になったら球根を日陰に置いていたアマリリスですが、去年(今回は気力不足で球根だけに出来なかった)は夏場から球根を太らせるために鉢に植えていたままにしていたものも葉を伸ばし始めています。アマリリスは毎年坊守が球根を手に入れていたものを私が水耕栽培で咲かせていたですが、坊守がいない去年は古い球根を何とか太らせて咲かせました。(もっとも、茎も短いし花の数も1輪だけでしたが・・・)そんな花ですので、今年の初夏はアマリリスの成長が別の意味でも楽しみですね。その写真はまた後日に・・・。


そう言えば、一昨年から冬になったら球根を日陰に置いていたアマリリスですが、去年(今回は気力不足で球根だけに出来なかった)は夏場から球根を太らせるために鉢に植えていたままにしていたものも葉を伸ばし始めています。アマリリスは毎年坊守が球根を手に入れていたものを私が水耕栽培で咲かせていたですが、坊守がいない去年は古い球根を何とか太らせて咲かせました。(もっとも、茎も短いし花の数も1輪だけでしたが・・・)そんな花ですので、今年の初夏はアマリリスの成長が別の意味でも楽しみですね。その写真はまた後日に・・・。
寺院でもご葬儀は出来ます
今日と明日はご門徒のご希望で本堂で葬儀が勤められます。ご葬儀となれば大勢の人がお参りに来られるためにキャパの問題も当然ですが、それを裏で支える人とともに近年の車社会による駐車場の問題等もあり、それらの理由から殆どが会館を利用なさるようになりました。しかし、現在では10数台分の駐車も可能ですのでお寺でもご葬儀はできますし、実際に当寺も今までも何軒か本堂で勤めさせていただきました。問題なのは鳥取はご法事を本堂で勤められる家が多いためにその日に重なると受けることが出来なくなることなので、調整も大変ですが・・・。

今回の方は先代から坊守役を受け継いで初めて回ってきた因幡組仏教婦人会の当番寺院であり、そのために委員長を当寺から依頼した時に快諾してくださった人です。今は亡き坊守に代わって心から「ありがとうございました」とお伝えします。そして、お浄土でまた坊守にお会いください。

今回の方は先代から坊守役を受け継いで初めて回ってきた因幡組仏教婦人会の当番寺院であり、そのために委員長を当寺から依頼した時に快諾してくださった人です。今は亡き坊守に代わって心から「ありがとうございました」とお伝えします。そして、お浄土でまた坊守にお会いください。
自分でも不安の多い解説でした
昨日の仏婦研修会はあらかじめ白板に『顯浄土真実教行証文類』と書いておき、それが『教行信証』のことだということから入ってその4字の意味を解説しました。そして、その書の中にある『正信偈』から親鸞聖人が阿弥陀如来の《光》の尊さと《念仏》に込められた如来のお心を説き、自らを「煩悩の塊」「凡夫」と称された親鸞聖人が「それらを疑うことなく信じて報恩感謝してほしい」と伝えておられるということを話しました。もっとも、毎回のことですが脱線したり突然に話題が変わったりすることも多い私の話(若院に言わせれば「国語教師だから、わかりやすいことをわざと難しく話す」のだそうです)ですから、どこまで無事に伝わったかが不安ですが・・・。

過日黄色になった葉を落としたり、枝を数箇所剪定してやった椿ですが、こんな綺麗な花をつけました。でも、どうして人間はこの花のようにストレートに自分を伝えられないのでしょうかねぇ。

過日黄色になった葉を落としたり、枝を数箇所剪定してやった椿ですが、こんな綺麗な花をつけました。でも、どうして人間はこの花のようにストレートに自分を伝えられないのでしょうかねぇ。
