前住職のひとりごと

鳥取市にある浄土真宗本願寺派のお寺、淨宗寺の前住職の日記です。基本は毎日更新です。

2026年02月

納骨堂の解錠も朝食も朝のお勤めもみんな済ませて新聞を読んでから何の気なしにテレビをつけると、画面に見たことのある人が…。番組はディスカバリーCHの『プロフェッショナルー職人の流儀』で、所さんの番組にも出ていたあの電気修理をする今井さんでした。就職した量販店の「修理できないと言って新しいものを売りつけろ」というやり方に「修理すれば直るのに」と疑問を持ち、「売りつけるよりも、直るものは修理すれば人も機械も喜ぶはず」と信じて今の生活になったとのこと。これを見て、これこそ本当のプロフェッショナルだと思うとともに、「(初給料で買った4チャンネルのステレオのターンテーブルが回らなくなったときに)どうしてあの時、手放してしまったのだろう」と悔しくなったことです。
水仙のつぼみ
水仙の花
ところで、修理と言えば、お参りに行った時には気づかなかった布袍のほつれに帰る時に気づき、帰寺してすぐに大慌てで繕い直しましたが、坊守がおればもっと早く気づいて繕ってくれていたでことでしょうね。私にとっては坊守こそが《プロフェッショナル》そのものでしたから。

昨日は買い物に行ったり郵便局に行ったりした時にベストの上にフリースを着ていましたが、暑くなって困りました。夕方のニュースでは最高気温が12度だったらしいので何となく納得しましたが、今日の最高気温は16度という異常とも言えるほど。もっとも、その後はまた10度を切るとのことで、こんな気温の繰り返しですから「三寒四温」との言葉で表されるのも納得です。しかし、いくら頭で納得できても身体は正直なもので、この歳には本当に体調管理が困難です。
下駄箱のヤブツバキ
ところで、坊守の往生から既に3年目に入っていますが、最初のうちは具を考えながら毎日のように作っていた味噌汁も、最近はインスタントの方が多くなりました。その理由には「疲れた」ということもありますが、坊守がいつも使っていた合わせ味噌がなくなったことが一番の理由です。46年という時間で慣れ親しんだ味とも言えるものがなくなったので、(取り寄せることができなかったので)自分で赤味噌と白味噌を合わせてみたり、出汁にも乾燥シイタケやコンブだけでなく鰹鰯や鰯節にしたりといろいろと考えましたが、どうしてもあの味にならないどころか「美味しくない!」。今朝は自作の梨ジャムを塗ったトーストに卵焼き(いつもは目玉焼きですが)とコーヒーの代わりのキノコとカボチャ入りの味噌汁を準備しましたが、時間をかけて作ったものの(肉体的には満腹でも)気持ち的には満足とまではいきません。やはり、《慣れ親しんだ味》というものはいつまで経っても忘れることはできないものなのですね。
(同じ赤でも、今日の椿は昨日の花とは全く違う雰囲気を与えてきます)

今朝は2時頃に目が覚めてから寝付けなくなってつけっぱなしにしていたラジオの音楽を聴きながら過ごしていましたが、映画音楽が始まったと思ったら宮崎で地震とのニュースが飛び込んできました。そのために曲が途中で切れたので、最初からかけなおしたことが2度。幸いにして震度3ということで被害もなかったようですが、こちらは結局寝直すことができなくなったので、3時半頃から起きだして動くことになりました。また今日も昼食後にウトウトしてしまいそうです。
赤の山茶花
昨日は雨の中で蕾が数多くついている大輪の白椿を切ってげた箱の上に飾りましたが、2月も残り3日。そろそろ下駄箱の上に飾っている招き猫の小物をしまって、雛人形を出す準備に入らないといけないでしょうね。
ところで、今日の写真は椿でしょうか、それとも山茶花でしょうか?自分としては、葉の先がギザギザしているので山茶花だと思うのですがね。

納骨堂の解錠の後で当寺のお墓のお参りに行くと、満開になっているものや今まで蕾だったものが開花している椿が雨に濡れていました。今朝の雨は今までの氷雨ではなくてそれこそ春雨と言ってもいいほどの、肩にかかっても冷たいとは思えないもの。と言っても、やはり濡れるのはイヤですがね。いつものようにまだ暗い中でのお参りですから椿の木々もそんなにはっきりとは見えないのですが、それでも納骨堂の横を通るとセンサーが働いて点灯するライトに照らされて周りが少し明るくなります。そんな中に浮き上がって見えるピンクや赤や白の花弁ですから、いかにも《幻想的》と言ってもいい情景かもしれませんね。中には落花しているものもありますが。
藪椿と落花
ただ、毎回そこを通る時に「お参りがすんだら切って飾ってやろう」と思うのですが、家に入ると植木鋏を持って出るということを忘れてしまい、他の仕事をしています。もしかすると、これも歳のせいかも…。そう考えて、一昨日の昼間に撮り集めておきましたがね。

「梅一輪一輪ほどの暖かさ」
これは松尾芭蕉の弟子だった服部嵐雪が詠んだ俳諧(俳句という言い方は、正岡子規によって表されたものです)で、厳しく寒い冬の終わりを告げるかのように咲き始めた1輪の梅に春の訪れを感じ取って喜ぶ心情が表されています。池坊の極意に「梅は鋭く、桃は丸く、桜は賑やかに」とあるように、梅は厳しく冷たい空気の中でキリリと枝を伸ばし、凛とした花を咲かせるもの。だからこそ「あぁ、すぐ近くまで来ているのだなぁ」と春が迫っている喜びを詠ったものですが、5日前にここに書いていた当寺の梅も同じように1輪だけ花を咲かせていました。
梅一輪
でも、嵐雪の見たものと同じ1輪の花でも、私にとっては春が近づいていることを喜ぶよりも「1輪しか咲いていない」ことに対する悲哀しかありません。毎朝目が覚めると窓越しに「今日は咲いたかなぁ」と期待を込めて枝を見つめていた坊守の姿を思い出し、年ごとに弱っていく梅の木がそれに重なってくるのです。今年は絶対に木の周りにはびこっているものを切り取り、少しでも多くの栄養分が梅の木に行くようにしてやらなくてはいけないようです。

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