時間的に薄暗くなったころのことは誰でもすぐに《薄暮》と答えますが、「では反対は?」と聞くと一瞬答えられません。坊守の往生以来話し相手がいない日々を過ごしてきたせいかすっかり「早寝早起き」の習慣ができてしまい、最近は4時過ぎ(時には3時過ぎから)にはもう動き始めています。最近はもう外がうっすらと明るくなっていますが、今朝も「こんな様子は何と言ったっけ?」と考えてすぐにも辞書を引きました。結果は《黎明》とのこと。そういえば、江戸時代の大政奉還から新政府に移るあの激動の時間のことを《黎明期》と本に書いてあったようなことも思い出しました。

それはそうとして、泰山木の落ち葉を掃き集めるために今朝も早くから境内に出ました。裏にある山椒の枝はしっかりと枝を伸ばしていましたが、境内では道路だけでなく境内の中にも遊歩道のトウカエデの木から吹き飛ばされた枝が何本も落ちていました。おそらく夜中の風に吹き飛ばされたのでしょうが、拾い集めてみると目に付いただけでも10本以上ありました。数年ぶりに裸木になるほど枝落とししていましたから、今伸びているものはすべて《若枝》であって強い風に耐えられなかったのでしょう。しかし、これが枝なら拾い集めてしまえばそれですみますが、「わからないことがあったらAIに聞けばいい」と短絡的に考える社会人生活1年生の人間ならどうなのでしょうか。教員になりたての頃に酒の場で先輩から「(教員なら)こんな場では互いに《先生》とは呼ぶべきではないし、生徒に関する話も絶対にしてないけない」と教えられました。確かにこんなことは至極当然のことなのですが、当時は「なるほど」と納得したものが多くありましたね。私も卒業を控えた3年生に対して社内での電話の応対の仕方とその理由など社会人として大切なことを伝えたりしていましたが、「教える、伝える」も「聞く」もなく、「すべてAI」という現在の風潮には不安しかありません。

それはそうとして、泰山木の落ち葉を掃き集めるために今朝も早くから境内に出ました。裏にある山椒の枝はしっかりと枝を伸ばしていましたが、境内では道路だけでなく境内の中にも遊歩道のトウカエデの木から吹き飛ばされた枝が何本も落ちていました。おそらく夜中の風に吹き飛ばされたのでしょうが、拾い集めてみると目に付いただけでも10本以上ありました。数年ぶりに裸木になるほど枝落とししていましたから、今伸びているものはすべて《若枝》であって強い風に耐えられなかったのでしょう。しかし、これが枝なら拾い集めてしまえばそれですみますが、「わからないことがあったらAIに聞けばいい」と短絡的に考える社会人生活1年生の人間ならどうなのでしょうか。教員になりたての頃に酒の場で先輩から「(教員なら)こんな場では互いに《先生》とは呼ぶべきではないし、生徒に関する話も絶対にしてないけない」と教えられました。確かにこんなことは至極当然のことなのですが、当時は「なるほど」と納得したものが多くありましたね。私も卒業を控えた3年生に対して社内での電話の応対の仕方とその理由など社会人として大切なことを伝えたりしていましたが、「教える、伝える」も「聞く」もなく、「すべてAI」という現在の風潮には不安しかありません。
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